明治村踏破行 時とところのアラベスク(八)

朝六時起床。早めの朝食もそこそこに犬山遊園駅へ。各駅停車で一駅、昨日の犬山へ戻る。駅前で缶コーヒーなど飲みながら明治村行きのバスを待つ。予定では五時過ぎの、名古屋行きバスに乗る手筈だから、ゆっくり出来ますということであった。開村九時半、秋雲が薄く棚引く朝であった。神ならぬ身の、なんで八甲田も顔負けの地獄の行軍が、行く手を阻まんと手ぐすねを引くを知ろうか。

ヨハネ聖堂

きりしとほろ像(ザビエル聖堂)
入場待ちを見て、係の方が早めに開村してくれたのだが、その時に見た一台のバスが、本日の蜘蛛の子を蹴散らすような大にぎわいの予兆であったのだ。秋の盛り、あっちへ行き、こっちを覗き、わいわいと楽しくて当たり前の青空の下、東海地区の小学生が行った先行った先をざわめいている。聖ヨハネも聖ザビエルも、彼らにとっては、スタンプ・ゲームのアイテムなんだろう。


とはいえ、方針の変わったらしい、明治村の展示は、近代への親しみを持たせるという点では、正解なのかもしれない。北里本館や鉄道寮新橋工場の展示が、今までの博物館としての矜持なのだろうが、あちこちに出来た、有料の休憩所や、内部を公開するガイド制といった、建造物との距離を埋め、展示物である近代建築に馴染ませる一つの方法なのだと思う。

西郷従道邸 

北里本館

長崎 パウロ聖堂 

今でこそ、東京丸の内の三菱村に、赤煉瓦の三菱一号館が、再建されるようなことも可能になったけれども、それも、半世紀に近い、この村の近代保存の実績があってこそではないかと。少しずつ増えてくる、展示物を見るにつけ、そんなことまで考えるのである。

三重県庁舎
とはいえ、素の掌に張り付いたデジカメと、K氏の手に張り付いた村内地図で、朝一からの蜘蛛の子攻撃を踏みつつ全乗り物制覇、全建造展示完周を、なんとか、三時前に終わらせて、名古屋、栄方面直行の急行バスで本日のお泊まり所へと向かったのである。
え、5時半まで? とんでもない。もう、おなか一杯。早めに付いたホテルで一服して、強行軍の疲れをさっき見つけた焼き鳥の店「茴香」で解し、今日も軟膏のお世話で爆睡である。