某日 時とところのアラベスク(十)

二ヶ月あまりの長い休暇と、一生分の大旅行を終え、城南地区、絨毯爆撃作戦の一兵として日々歩き続けている。
朝、リストを貰わないとその日の周回地区がわからないという、なかなかスリリングな状況なのだが、それはそれで面白い日々なのである。城南地区といえば、四十年前に一年程自転車で日々廻っていたことがあった。実際は、横浜鶴見区川崎市、世田谷を含むずっと広い範囲だったが、大田区はほぼ全域を踏破しているはずだった。
まあ、土地勘はあるし、終日歩き通しで、筋肉痛や関節痛に悩まされながらも、一寸風変わりな日々の業務を愉しんでいる。始業時間もゆっくりなので、ラッシュの大波は避けられるが、前のように自宅と勤務先は自転車通勤でというわけには行かない。降車駅の下りエスカレーターを毎日利用しているのだが、昨日の朝、チョットした事件があった。いつものように前の人に続いて最後の板を越えようとして、一瞬ひるんだ。
なんと人並みにエスカレータで降りようとしたのかもしれないが、足の長さが足りないのか、タイミングが掴みきれなかったのか、足板の吸い込まれる境目で、G君がくるくると全身を回しているのである。焦げ茶の羽を広げるわけにも行かず、短い足をもがきながら、板の動きのままに櫛の歯のような吸い込み口に身体を沿わせて回っているのである。駅前の一等地に暮らしながら、エスカレーターの降り方も知らなかったと見える。ずっと観ていたかったが、後から後から人が続くし、みんな足下のG君など気にもとめないで跨いで行くのである。邪魔をするわけにも行かない。
昨日は、空港のお膝元、セメント造りの立派な共同住宅も増えてはいたが、小さな町工場と貧相なアパートの犇めく一画が順路だった。未だに残る、カンカン鳴る鉄骨造りの階段を上がる、土足では入れない共同トイレのアパートの匂いも懐かしかった。玄関も無いアパートでの、窓越しの会話は、自分も知っている〈あの時〉を一瞬思い出させた。
強風に悩まされての一日の最後、夕暮れの天空橋の袂に立った時は、川向こうの飛行場を見通しながら、半世紀の歳の流れが止まっているようだった。