ケルト十字と小型バスの日 勿論紀田さんの講演がメインである

まず、最初の躓きは中華街に早く着きすぎたこと。素が目標にしていた店の営業時間が変わって十一時開店に変わっていた。さらに、喫煙の出来るスペースが無く結局公園まで歩いたこと。戻ってみたら目標の店の値段が、K氏の設定より若干高かったこと。まあ、それらはなんとか中華街にあるカフェテリア形式の他の店でクリアできた。点心を何点か取り、お茶でまずブランチである。

中華街を後に元町を横切って旧坂を息切れも甚だしく登ると、生け垣沿いに外国人墓地の墓石が垣間見える。

「今は未公開で、入れないからねえ」などといっていたら、なんと休日は、募金のために公開しているのである。さっき見えていたケルト十字の墓標を探したり、墓窖を模した墓石を見つけたり、本日の目的である近代文学館での行事まで、ゆっくりと堪能できた。


出口で目的地を確認してゲイテ座前へ出る。そこから、港の見える丘公園を横切る。K氏に電話で予約して貰っていた、本日のメイン・イヴェント『大乱歩展』である。イヴェント自体は承知していても、展観自体にあまり気をそそられていなかったのだが、K氏の「紀田さんの講演があるよ」の一言で立ち上がった。紀田さんには、宿題の残りを提出しないわけにはいかない。

受付の方に贈呈本の既刊を託し、講演会場へ入るが、今回は徐々に会場が埋まり、補助椅子まで出る状況であった。
講演は乱歩が、なぜ没後四十年を経て未だに忘れられずにいるのかの言及から始まり、原因の一つを、戦前、戦後の長きに渡って書きつがれた「少年探偵もの」にあるのではないか、では、なぜ少年達に今に至るまで魅力を与え続けているのかの分析が始まる。実際の読書経験から来る貴重な証言も含んで、戦前における江戸川乱歩の行程を辿り、戦中の混乱から、乱歩自身の変貌を捉えていく。最初期の乱歩に見られる彼自身の文学的資質が、大衆作家としての作品群で失われる状況を解明し、講談社というメディアから与えられた〈少年向け〉という、乱歩自身思っても見なかった方向に、作家の最良の部分が生き続け、読者との交流の中で持続してゆく過程が語られる。
さらに戦中の混乱といういわば負の状態を逆手に取り、自己を見つめ直し理論立てて、それを自らの嗜好である、探偵小説の理論化と結びつけるという稀有のアマルガム現象を発生させていったと解明される。乱歩にしかできなかった、それらの作業は、戦後の探偵小説隆盛の下敷きとなり、「少年探偵団」によって拡げられた愛好者の裾野を、理論で高度化し後続の作家を育てる礎となった。
二時間に及ぶ、長講をこんなかたちでしか伝えられないのがもどかしいが、実際自分の感じていた乱歩受容の遍歴が、紀田順一郎氏の名講演で、再認識できたのが嬉しかった。今回の図録は、2003年に行われた「乱歩の世界展」の図録と共に、乱歩を語るうえでの重要な基礎資料となりうると思う。
充実した展観を縦覧し、会場を出ようとしたらあいにくの雨だったが、そのまま公園を抜けた。屋根のあるバス停で、K氏の確認してくれた山手駅行きの小型バスに乗り、根岸線の駅に出られたので、ほとんど濡れずに錦糸町までたどり着けた。晩飯代わりの一杯を駅前の大きな飲み屋さんですませて、いつもの通り、充実した一日を終了したのである。