おおおかやまをあるく

昨日は北千束一丁目が、作業地点。地下に潜った大岡山駅を降りるのは、はじめてだった。最後に降りた時は工事が始まったばかりだったから、何年振りなのか。思い出せないくらい昔になってしまった。
反対側のホームに入った電車が、急行溝の口行きだというアナウンスを聞いて、なんだか、昔が懐かしかった。少年時代は溝の口が終点だった大井町線だが、新玉川線が通ってから、長い間、二子玉川止まりになっていたのである。
大田区内を自転車で走り回っていたのは、もう四〇年前だから、様変わりしているのは当然だとしても、その頃は、どんな小さな駅でも、商店街さえあれば、必ず一軒はあった古本屋が、全て消えているのに気づかされていた。大森、蒲田と大きな駅でも、当時知っていた店の姿は全くない。その中でも、大岡山は東急大井町線の沿線ということもあって、自由が丘と並んで、素天堂の古本行脚の最も古い拠点の街だった。地名は知らなくとも、本屋は知っていた。大岡山に点在する本屋が、全て、昨日回った北千束だったのなんか、知るわけもなかった。今の作業で命綱になっている、住居表示などあの頃はなかったから。
駅前を縦に走る商店街にちいさな店が二軒、東工大の正門前に暗い大きな店が一軒。環七を渡ったところに故紙の仕切り場がやっていた、広いけれども閑散とした店が一軒。沢山は無いけれど、それぞれ個性のある面白いお店だった。とくに、環七へ向かう商店街の中程、路地を曲がったところにあったお店は忘れられない。
いつもの通り、手を埃で真っ黒にしながら平台に積まれた古い文庫の山を物色していた。店番のおばあさんに胡散臭い眼で見られているのに気づいてはいたが、勿論、気になんかしていられるものか。と、底の方に近く、黒くなってはいるけれど、光るものが見えた。当時既に神保町あたりでは、子供になど手の出せない古書価のついていた、岩波の「リラダン短編集上・下」だった。汗ばんだ手の埃が本を汚さないように、恐る恐る番台に持っていって、値付けのしていない二冊を出した。おばあさんは「ああ、古い本だから百円でいいよ」、その瞬間、震える手をごまかしながら、もぎ取るようにお金と引き替えに、店を出たのを覚えている。道を歩きながら、激しい動悸が止まらなかった。
そのあたりも回ってみたが、当然そんな店はない。いや、正門前にあった学参中心だったあの店も消えていた。タイム・スリップもかなわぬまま、広い街を周りつくして、あの時と同じ夕暮れ時、駅にたどりついた。朝見つけておいた、蛍光灯のまぶしい新しい古本屋さんに、食欲のわかぬまま戻る気力もなく、しょんぼりとホームに降りていた。