翡翠の眼差し みどりのゆび

十五日夕刻、帰宅してのんびりPCを弄っていたら、K氏の悲鳴に近いメールが。何でも宇都宮で開催中の「杉浦非水展」に行きたくなったそうだ。K氏がそんなに非水に興味を持っていたとは知らなかったが、自分も『世界人物図案資料集成』とか、アルスの『世界商業美術全集』とかで縁がないわけではないので、早速、スケジュールを立てて、十六日早朝、宇都宮を目指した。自分たちは観光半分のつもりで、駅弁など持って乗り込んだが、どうも車内はロングシートだし、土曜日といっても、あまり、車内で駅弁を食べられるような雰囲気ではない。やむを得ず、大宮を過ぎたらなどと思ったが、乗客数が思ったより多く、結局小山を過ぎてから、無理矢理飲み込むように食べるという次第。とはいいながら、途中宇都宮まで、埼玉から見晴るかす富士山や、徐々に見えてくる日光の連山を堪能する。目的の宇都宮美術館に向かうバスは、駅弁を買っている間に行ってしまった先発の列車に合わせていたらしく、若干時間があいてしまった。駅ビル内でお茶をして次の便で向かう。
まだ早かったせいもあって、会場はゆったりとしており、ノンビリと堪能できた。「三越」のポスターや宣伝美術の分野は、今までも各所で紹介されていたが、学生時代の作品や、大阪における雑誌の仕事が展示されていて、非水のルーツを辿る貴重な資料であった。それに混じってミュシャグラッセの実物(非水の所蔵品)が展示され、三越での仕事が如何にアール・ヌーボーと結びついているかがよく理解できた。それほど、非水自体に興味があったわけではないので、外遊のことは知らなかったが、それが以後の非水にとって大きな変化をもたらす契機になっていた。
ミュシャグラッセを手本に、日本商業美術の最高峰であった彼が、洋行した1920年代前半はフランスではアール・デコ、ドイツでは表現派の真っ盛りの頃であった。現地での新しい動きが非水にどのような感慨を持たせたかは、日記でもあまり踏み込まれていないが、表現の大きなうねりに圧倒されていたのは間違いない。しかしながら、彼自身としては春陽堂から刊行した「百花図譜」の完成によって、木版技法によるイラストレーションとしての最高峰を極めていたから、出版技法としての彼の地におけるポショワール(一部手彩色)による挿絵技法は、ある意味取るに足らぬ存在だったといえよう。
問題は、商業美術を表現する環境だった。パリにおけるポスターの展示方法の導入と、洗練された印刷技術の啓蒙が帰国後の重要な仕事だった、「東京地下鉄開業」のポスターはその影響を如実に現しているし、以後、後進に対する教育に進んでいったのも、彼我の落差を実感したからだろう。前述の「集成」や「全集」はその現れだと思う。
思ったより時間をかけて充実した展示品を見たので、周囲の公園でくつろぐ時間が少なくなってしまったのは残念だったが、市内に戻って、途中下車し、前日から予定していた二軒の本屋巡りに取りかかった。最初に行った「山崎書店」は、最近東京では見なくなった総合ジャンルの何でも屋さんだったが、さすが県都古書店らしい品揃えだった。偶然だったかもしれないが、店頭の見切り品で非水装丁の改造社版「円本日本文学全集」が積まれていたのには笑ってしまった。その後、取りあえず、腹ごしらえと言うことで、大きなスーパーの地下にある餃子のお店に入る。餃子で一杯は常識。まずは酎ハイで乾杯したが、次の一軒であれほど苦労するとは思わなかった。
大体写した地図が好い加減だったし、あんな町はずれにあるとも思わず、K氏を引っ張っていったがお目当ての店は見つからず、K氏に逆に引きずられる感じで後戻り。地元のヤマトで地名を確認したら、ずっと奥の方らしい。まさかと思うような場所に「秀峰堂」があった。入り口こそ変哲もないアルミサッシの引戸だったが、店内は、驚くべき品揃えであった。まず手作りらしい棚が奇妙な卍形で組まれ、上下の二三段は裏表の書棚になり真ん中の大きな一段は通して背を作らずに平台になって和本や、骨董を置く展示になっている。まったく無駄のない空間に、それにふさわしい、美術関係を中心に古書が並ぶ。文庫も戦前の岩波を中心に、背表紙が暗くて読めないくらい変色しているものばかり。這いつくばらなければ判読出来ないが、そうする価値はある。一般書籍も、栃木出身の画家たちを中心に、小杉未醒川上澄生の初版本が並ぶ。とにかくここに来なければこの本はないという自信の品揃えであった。興奮冷めやらず店を出て、宇都宮駅に向かい、小さな買い物をする。もう五時をすぎて大分遅くなってしまった帰りの行程に検討が加えられ、帰路はノンビリ久喜経由で自宅近くの住吉まで帰ることにした。素天堂自身は何度か使った経路だったが、初めてのK氏はあまりの感動に言葉もなかった。何しろ、宇都宮から自宅まで、たった一回の乗り換えで帰れてしまったのだから。
その後、数年ぶりに素天堂は風邪をひき二日間寝込んでしまったのは、もしや非水の透徹した眼差しとみどりのゆびの魔力による、知恵熱だったのだろうか。