minowa-asakusa mystery tour 時とところのアラベスク(十三)

二月七日。記念すべき十三回目にふさわしいイヴェントに参加してきた。切っ掛けは正月、松明けて早々のhd氏のメールだった。そのメールにはルートがこう書かれていた。
三ノ輪駅→永久寺(目黄不動)→浄閑寺(新吉原総霊塔、荷風碑、歌笑塚)→樋口一葉記念館→法昌寺福島泰樹さんのお寺、中井英夫供養塔)→行安寺(泡坂さん墓参)→浅草「飯田屋」(どぜう屋)
折角の機会でもあり、不義理を重ねているにも拘わらず、度々お誘い下さるhd氏にお応えするつもりで、同行を了承したK氏と共に参加を決めた。当日そろったメンバーは、K、素、を含む八名であった。
1.幾つかの齟齬も見えるが順調な滑り出し
参加希望の何名かはお仕事や体調不良で不参加。提案者のik氏も不参加となったが、若干風こそあるが天候も散歩日和。hdさんの確認でほぼ時間通りの出発。最初の目的地、目黄不動は、日比谷線三ノ輪駅のすぐ裏手で、近所に「あらびく」こそないが雰囲気のよいお寺さんだった。

集合写真を撮影して、まるで小学校の遠足のようだ。その足で三ノ輪橋の都電停留所まで散策を経て、投げ込み寺で有名な浄閑寺へ。

荷風碑を始め見学するものも多くてみんな大はしゃぎであった。そこから誰も入らなかった一葉記念館を経て「中井英夫供養塔」が安置された法昌寺まで、町歩きを愉しみながら順調な遠足は続いた。
 

境内に祀られた小さいが見事な毘沙門天像を拝観して表に出たら、hd氏から衝撃の一言。「ここまでは案内できますが、これ以降は、tgさんの案内をお願いします」言いつかった瞬間の、tg氏の顔色が一瞬青ざめたのを見逃さない、素天堂であった。
2.地図ソフトへの入力違いというレッド・へリング
ここで先導を任されたtg氏の手には最新のテクノロジーの象徴、i-phoneが煌めいて、その地図の上には老人には判らない渦が巻いていたのである。まさか案内の人が道を知らないとは思わぬ参加者は、その最新テクノロジーの指し示す方向に、もと来た路を戻っていった。参加者のあちこちから、記念館の脇を歩きながら、参観しなかった「一葉」の呪いかという指摘もあったが、竜泉を過ぎ、千束、吉原の大門を過ぎた頃に、いつまでたっても到着しない不安感が起きてきたのである。tg氏の顔はますます青ざめ、そのうちにi-phoneが電池切れとなり、最新のテクノロジーの恩恵は立ち消えとなった。そこで、先導者の口から、思わぬフレーズがこぼれた。「住所の入力間違い」。我々は、思わぬミス・リーディングに誘われてきたのだった。
3.少ない情報から、正しい方向を見出す 
ここで、唯一メールをもってきていた素から行安寺の住所の再情報の確認が提案された。
そこで現れた住所は、現在地と似ても似つかぬ場所であった。急遽、地域地図を確認するも、既にその地図には掲載できないくらい離れていたのである。そこで、穏健なミステリ研究者であるsp氏から、途中にある官憲の交番で地名を確認しようと言う提案がなされ、その方向に取りあえず向かうことになった。少なくともこれ以上目的地から離れることはあるまいと言う方向へ。
4.偶然が幸いする コンビニで地図を見る
ところが何ということか、あるべき筈の公権力の出張所は見あたらないまま千束を抜けて、不思議な五差路に巡りついた。(素天堂の私的な見解であるが、本来公権力をないがしろにして、私立探偵にうつつを抜かす面々を彼らは忌避したのではあるまいか)そこにはありがたいことに、コンビニエンス・ストアがあり、そこで、地図を見たり、その他のことまで用がたすことも出来た。店内に入らなかった素には判らなかった方法で、地図のコピーを手に入れてきたhdさんの手から地図をひったくり、松が谷という地名と行安寺の場所を探す。歩くと二〇分くらいなのだが、五時を過ぎると目的の墓所が閉められる可能性もあるということで、急遽、タクシーを調達し、二台に分乗して、行安寺付近まで向かった。
5.解決と方法 行安寺で、お坊さんは、何故我々を見つけて声をかけてきたのか
合羽橋の商店街を抜け、走る車の中から目当ての行安寺の表門が見えた。その角を曲がって路地に入ったところで車を降りたが、時間も遅いしお寺に言うまでもなく、墓所さえ判ればと歩きながら見回したところ、路の反対側に行安寺墓所の名札が掲げられていた。留め金を上げ、勝手に開けて墓所に入ったメンバーがhdさんの号令のもと厚川家のお墓を探し始めたところに、後から声が。墓参の際の注意事項を申し入れるお坊さんだった。頭を下げ、お線香は使わずに見つかった泡坂さんの墓碑に集合。sp氏の持参した文庫本を墓前に捧げて、集合写真。それぞれ思いを篭めてお参りをすませた。どうして我々が墓所に侵入したのが判ったのか、不思議に思った素の問いかけに、sw氏曰く、「入り口の周囲にはカメラも何にもなかったですね」とのお答え、やっぱり、侮れないミステリものの発言でありました。とこれから、いよいよ最後の詰めである。

6.どぜう屋での大団円
表通りのニイミの看板を鑑賞し、路傍の地図で、最後の目的地「飯田屋」を探す。ちょっと離れてはいるが、先ほどの轍は踏まず、シッカリ場所を確認して向かう。いわゆる名店でもあり、混雑が予想されたが、時間が早かったせいか、ゆっくりすることが出来た。最初のビールがうまかったこと、言うまでもない。その後二時間ミステリ話、sw氏、shご両人の蔵書話などを堪能して、素、Kの個人誌、カルタの行商を終えてまだ、座敷の残る方々を後に我々は失礼した。その後で入った店とか、そのせいで自宅近所まで行くバスに乗れず、亀戸から家まで歩いたというのは、また、別の話だ。
最後になりますが、お誘い下さったhdさま、お付き合い頂いた皆様、斯様にご無礼な日記での恩返しになってしまいました。どうかお許し下さい。