さいごの日


九月末日の怒濤の講習から始まった、奇妙な町歩きだったが、二ヶ月限りの約束で始まった契約も何度か伸びて、とうとう現場作業の最終日までお付き合いすることができた。
  

東京のほんの一部とは言え、まるで地形のままに、西の果てのお屋敷町から、東の涯の町工場と貸間アパートまで、本当に日本という国のミニチュアを見るような日々が続いた。
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多分、今までの生活では考えられない経験の連続だった。一片の身分証のお陰で、大小様々なお宅の数々を無遠慮に覗きこみ、考えられないようなプライヴェートな質問を投げかける日々である。一日の大部分を歩行による移動でつぶすその作業は、体力的には、例えば給金を貰ってウェイト・トレーニングを続けたようなものだった。K氏の協力もあって、幸いなことに、持ち前の好奇心のお陰で、ここまで続けることができたのだと思う。ありがたいことに、40年前の日々を目の前にできた日々もあった。あの頃のままにこの店はあった。

予約なしの突然の訪問にも拘わらず、無遠慮な質問の数々にお答え頂いた、沢山のお年寄りとの対話は、素天堂が向かうこれから先への、体力的、精神的な自信を与えてくれた。最後の最後にお邪魔したお宅で、ケンもホロロな最初の面談拒否と、再訪時の打って変わった真摯な対応は、確かに現在のお年寄りたちの抱える大きな問題を目の当たりにするものだった。弱者を食い物にする卑劣な犯罪と、それを必死で押さえようとするそのお婆さんの真剣な眼差しを、決して忘れることはできない。

ラス前の、苛烈な町歩きを零した、素天堂の気持ちを汲んで、ラストにふさわしいコースを選んでくださって、素天堂の出勤を待ちかまえていた現場責任者のSさんの、最後の笑顔と一緒に、そのラス前の過酷な道中に出逢った、薭田神社(ひえだじんじゃ)の梅の花も忘れられないものになるだろう。