巷、巷に本屋あり 「覆面作家」の家を見てきた


三連休の最終日、とはいっても個人的な春休みはまだ続いているのだが。いくら暖冬だったとはいえ、この季節、薔薇はまだ咲かない。当初考えていた予定を変更して、花に重きを置かなくても良さそうな名所見物に出た。六年間ほとんど外出できなかった反動が、一挙に吹き出した感である。まだ直接触れていない洋風建築の傑作、駒場前田侯爵邸だ。内部を含む写真は、先のリンクを、また、侯爵邸の現在に至る経緯は、目黒区のここを見て頂くとして、いつもの珍道中である。
急遽変更された行程ながら、比較的順調に、駒場東大前に到着、例によって何の事前準備もないまま、K氏の先導で向かう。時々の案内板が頼りである。教養学部の前の道を池の上方向に戻り、大きな踏切を過ぎて右に右折。比較的大きな私邸が続き、場所柄、凝った設計の家も多い。どうやらK氏の記憶も定かでないらしく、不安そうだったが、どうやら裏口のような門から最初に、和邸宅の前にでた。湯島の岩崎邸の経験からあまり期待はしていなかったのだが、保存もよく、庭園の管理も行き届いていた。
どうぞ渡って、というように縁側から庭先に並ぶ飛び石に、靴下裸足で飛び降りて、ほの見える洋館の裏側を撮影していたら相方に注意された。庭園に降りてはいけなかったのである。人のことはいえないが、花にはちょっと早いこの時期に、ご高齢の方々の見学が多いのは、陽気に誘われてのせいだったのだろうか。広い玉砂利の敷かれた裏庭を抜けると広いエントランスに出た。洋風建築といえば保存の良さで必ず上げられる前田邸なので、結構初期のものだと思い込んでいたら、昭和に入ってからの創建だそうである。その保存も履歴を見ても分かるとおり、進駐米軍の接収を始めとする、戦中・戦後のゴタゴタを潜り抜けてのものだったのである。
北村薫の佳品『覆面作家』シリーズのドラマ化NHK『お嬢様は名探偵』でこのエントランスが使われていたのは忘れられない。
これだけの規模を維持しつつ、無料開放とは素晴らしいものだと思う。ワクワクしながら全館を巡る。細かいところの細工も楽しくて、瞬く間に時間が過ぎてゆく。名残惜しさを振り切って前庭に出て、広い芝生の拡がる公園部に入る。近所の幼稚園児たちの遠足の様子を見ながら回ってみると、流石、加賀百万石の前田様の本宅である。現在は使われていない泉水跡や、庭園の隅には園遊会のバーベキュウにでも使われたのであろう、石貼りの竈も残っていた。
     
東の外れに元神社だったような不思議な跡がある。手水の桶なども残されているから間違いないが、本殿だったらしき石組みの中から十メートルを超す立木が生えているのは、壮観である。ワシワシと重なる落葉を踏んで歩ける足下は、今では珍しい雑木林の感覚だった。

入ってきた時より、もっと裏口っぽい、小さな出口から出てみると、なんとそこはさっき通り過ぎた、住宅地の真ん中だった。
駅に戻りつつ踏切の向かいを見ると、もう一つ公園らしきものが見える。K氏が引用で苦労したケルネルの検索でぶつかった、昔の帝大農学部の農場、ケルネル田圃跡の駒場野公園だった。起伏が大きく変化に富み、近隣の野草を揃えた面白い公園だった。管理事務所に書かれた「カメを見に来たみなさまへ」の表示も楽しかったな。駅に向かって歩き出したら、朝ちょっと呟いた、駒場といえば河野書店という一言を聞き逃さなかったK氏が、どうやら、所在を調べていたらしい。地番表示を確認しながら休日にも拘わらず人通りの多い駅前を抜けると、思わぬ近くにそのお店はあった。十九世紀本の『オシアン』の原書を始めとして、目録でのお付き合いは長いのだが、お店は初めてだ。見切り本とはいえ侮れない店頭で、アトキンソンペリカン版『ストーン・ヘンジ』を拾った。地球儀を中心に、和洋の書籍の集められた店内は、素天堂如きの歯が立たない品揃えではあるが、建築や美術の棚に引き込まれた。上気して店を出、京王線で下北沢へ戻る。
何の躊躇もなく、京王線のホームの改札から表へ出た。線路を左手に、ここが北沢二丁目であることを確認して、カフェテリア風のお店で、辛目のカレーで昼をとる。ゆっくり休んで表に出てみる。地番表示の確認は、必須である。このあたりは二十六番地だからどんどん探せば七番地に繋がっていると思うのは当然なのだ。しかも、地番整理で、線路が通っていれば、そこが丁目の境界になってくれていると思うのが、人情ではないだろうか。普段乗降している、小田急線の駅から東に降りたところも二丁目(もっともあんまり地番は気にしていない)なので、高をくくって歩き始めた。ところが行っても行っても、番地は小さくならない。そのうちに隣町、代田との境界まで出てしまう。
やむを得ず戻ってみると、さっき降りた、改札口まえの踏切である。まさかと思って渡ってみると何とそこも二丁目。地番を気にしながら歩き始めるが、歩いても歩いても工事中の二十二番地である。二十二番地が終わると今度は小田急線の踏切だ。再度、まさかで渡ってみると、やはり代田との境界の二丁目だった。只、今度はさっきまでの二十から三十への流れではなく、だんだん若くなってはなってきている。少し希望がわいてきた頃にはもう三十分以上歩いている。地番と場所の地図は持ってきていたから、少なくとも目標に近づいているらしいことは分かった。そのうちに見慣れた駅前の表情が見えてきたが、また、京王線のガードだ。諦めてガードを潜ると、そこも二丁目。本多劇場のあたりは、十番、なんとかわかってきた頃には、降りた改札口が百八十度反対だったことに気がついた。だから、今まで歩いたことのない感覚だったのだ。最初に迷った二丁目は、線路で四ツに分断された二丁目の最大面積の部分であって、普段うろつくあたりは実は一番小さな区域だったのであった。
本多劇場の裏手に回ると、やっと、目標だった一軒目の本屋さんが眼に入った。下北沢「ほん吉」である。毎度の通り、まず見切り本の棚をさらう。今回は、なんと、昭和初期の漫画大観の端本が三冊、『文藝名作漫画』『コドモ漫画』『東西漫画集』。小説の挿絵付きリライトである文藝名作はともかく、最初期の児童漫画の大成『コドモ漫画』は今まで見たこともなかった。箱は壊れているし、奥付も切られているが作品は全て見ることが出来る。宮尾シゲオや坂本牙城など後に児童漫画家専業になった作家も含めて、岡本一平水島爾保布など当時のそうそうたるメンバーによる多分オリジナル作品集である。まだ、齣割も不明確でほとんどがユーモア絵物語といっていい、児童漫画草創の貴重な証言である。他の本に比べて見かけないのは、子供たちの手でボロボロになるまで読まれて、消えていった本の一冊になっていたからなのだろう。
『東西漫画集』は名前は生温いが実は、岡本一平、細木原逭起、水島爾保布等の編纂になる本格的で、刺激的な世界戯画史である。日本は鳥羽僧正から始まり、北斎暁斎、ビゴーに至る本格的なものである。西洋は現役の漫画作家アンソロジーと戯画史に別れ、古代ローマから、グロッスまでの変遷を手際よくまとめている。これもありがたい掘り出し物だった。店内を見ると、最近では珍しい、オール・ジャンルだったがそれぞれの分野がよく集められていて楽しかった。さあ、あとは、K氏の目標「古書ビビビ」の新店舗である。いつもながら、若干サブカル系の品揃えが楽しい。大きくなっても、程度が下がっていないのは流石である。というわけで、様々なハプニングに襲われつつも今日の予定は終了した。気がついたらもう四時半を回っている。お茶の時間もない。