春嵐を呼び桜雨に終わる

まるで、その頃の心境のまま吹き荒れた強風も、収まった二日夕刻、新職場から確認の電話が入った。どうやら就業確定だそうである。ホッと落ちついて翌日は、終日家内でジョージ・サートン『古代中世科学史』で語彙の収集。今更なのだが時間のある今、やっぱりやって置かなくてはなるまい。夕方、赤坂へご機嫌伺い。終電近くまで話し込む。思いなしか、カウンターの向こうで話す、店主の鼻筋がキリッとしている。対話というか、ポツリポツリ、自分に向かって語りかけるような風情だった。
日月堂さんで気になる本があったので久しぶりに問い合わせると、却って別件で用事ができた。件の書籍は確かに気にはなるが、今の自分にとっては必要かどうかだったので、別件の用事はありがたかった。金曜日は休業なので、土曜日昼に家を出る。確認の電話をして、店に向かう。お店にはいると電話で濃ーい商談中。終わって棚から出してきた件の本、前に持ってたという単なる自慢がしたかっただけ。ご注文頂いたバックナンバーだけではなく、余分に持っていった他の号も結局押しつけることになった。申し訳ない。ありがたいことに、棚に『新ロシアパンフレット』があったので、K氏宛に頂いて帰る。
ちょっと早めに出たので買い物が済んでもまだ時間が余っている。取りあえず半蔵門線に戻るが、行く先が決まらない、そういえば、前に言った溝の口歩きの時行かなかった、「ネモジリ坂」が気になっていたので、いっそのこと溝の口を歩いてみることにした。荷物も出来てしまったので、コインロッカーを探すが、出口を間違えて近所にない。結構時間をかけて探し出して南武線の線路沿いまで降りると、前にも入ったあの古本屋さんの前だった。時間もないのに、振り切るわけにも行かず結構な時間を使ってしまった。今は消えてしまったヤストモストアの名残のクリーニング屋さんを過ぎると、南武線大山踏切が名前のとおり、目的の旧大山道である。線路脇の床屋さんは素の記憶が間違いないなら小学生時代から変わっていないようだ。大きく変わった南側の道を横断しているのが「ネモジリ坂」の始まり。登り始めたところに新古本屋があったがさすがにパス。子供時代の記憶通り何回も折れ曲がった坂は変わっていない。天辺近くまで行くと向こうに246の高架が見える。

さらに歩くと、何と高校時代に度々お世話になった先輩の勤務先が、そのままの場所で今でも健在であった。思ったより長い坂で、結局目当ての身代わり不動まで辿り着けないまま坂を下った。
砧公園は風もなく、見事な満開の桜で埋め尽くされていた。何度か文明の利器を行使して、先発隊に合流すると松山さんはもう、とってもご機嫌であらせられた。以下は、二時間の定点観測



シートに座った途端、パラパラと雨粒が、自分が呼んだように降りかかった。雲は高いし、満開の花越しの夕焼けなど愛でつつ、高をくくってノンビリと全員集合してワイワイしているうちに、今度は本降りに近い勢いになってしまった。やむを得ず撤収にかかった頃には、周辺でにぎわっていた人達は周りから消えていた。松山さんはTkさんと妖怪博士に付き添われて先発した。結局開けられなかった酒や、肴を引き取って用賀に出ることになったが、Itさんの提案で三軒茶屋のいいお店へ向かうことになって、Kdさんの発議で車を使うことになった。酔眼モーローのためにお店の名前は覚えていないけれど、素敵なお店でしたよ。一足先に失礼した素は、帰宅して、Tkさん手作りの生春巻きを頂いて出来事の多かった、一日をしめたのでありました。