「アンテア」西洋美術館での再会

1980年といえばもう三十年前なのだが、その年の暮れ、上野国立西洋美術館で、「イタリア・ルネッサンス展」と題された、奇跡のような美術展が開催された。美術史上の巨人と、当時やっと再評価され始めたマニエリスムの画家たちで構成された今思えばとんでもない企画である。
ボッティチェッリ、レオナルドからティツィアーノ、チェリーニまで余すところなく精選された展観であった。と偉そうに書いているけれど、当時は陳列された作品の水準に圧倒され、そんな陳腐な感想さえ拒絶する迫力が会場を覆っていた。今の鑑賞能力があればもう少し、一点、一点を深く見られたのかも知れないが、何しろ西洋絵画を触りだしたばかりの初心者には、とにかく観て回って、本で見たことのある図版を確認するだけで精一杯だった筈だ。
そんな中で、ただ一つ心を惹かれたのが初めて観るパルミジャニーノの作品「貴婦人の肖像」だった。「アンテアの肖像」とも呼ばれるその絵は、陳列の壁から微妙に離れたところに掛けられていたと記憶する。濃い緑色のグラデーションをバックに盛装して立つ若い女性は、小さな卵形の顏の中の、挑むような眼差しで観る自分を見つめているような気がした。もったいないことだが、もう他の絵など眼中になく、ただただアンテアと向きあって、その眼差しに引き込まれていた。勿論いつかは美術館は出なければならない。引きはがされるような心持ちでその目から離れた。
あの「凸面鏡の肖像」に続いての「アンテア」ショックは、ますます自分をパルミジャニーノ狂いにさせた。池袋のいまはなき「リブロ」で、パルミジャニーノの画集はないかと聞いて「あったら平台で売りたい」と返されたこともあった。色々あってボロボロになりかけた頃、東京に移り住んでウロウロしていた時期に、改築前の丸善の洋書売り場で、分厚い図録と出逢った。「パルミジャニーノとヨーロッパのマニエリスム 2003」と題された図録は、『迷宮としての世界』で提起されたマニエリスムという観念の、半世紀に渉る進化の結実と画家自身の生誕五百年を記念する、出身地パロマと、ウィーンでしか行われない画期的な展覧会のものだった。パルマにはいけなかったが、何とか工面してウィーンへは行くことができた。「凸面鏡の肖像」の若い画家と一緒に「アンテア」はそこにもいた。五日間ウィーンをうろつき三日「美術史博物館」に入り浸っていた。フィレンツェ・ウフィッツィの「長い頸の聖母」こそきていなかったけれど、ヨーロッパ中から集められた珍品コレクションは本当に楽しい展観であった。
印象派や現代美術の人気作家ならいざ知らず、一般的には無名の西洋画家の作品に三度巡り会えるのは奇跡だと思う。
そんな奇跡が、今年の暑い夏に巡ってきた。やっと決まった再就職先の地上に出て、昼食の弁当を買いにいったところでチケット屋を見つけた。売るほどあるチケットの中に、忘れるはずのない「アンテア」の小さい顔があった。「カポディモンテ美術館展」、発作的に買い込んだチケットだったが、結局九月までそのままになってしまった。せかすような街中に溢れるアンテアの顏を見ながら一夏を過ごし、やっと予定が組めて出掛けてきた。
勤務を早めに終わらせて、金曜日の延長開館にK氏と待ち合わせる。改装してから企画展が地下になってから二回目の訪問である。入口に陳列された装飾品を斜めに見て曲がった次の部屋がお待ちかね、マニエリスム(会場ではルネサンスバロック美術)の部屋である。ヴァザーリのVサインを出すマラソンランナーのような「キリストの復活」や、マルコ・ピーノという未知の作家のアヤシイ「マギの礼拝」を見ながら本日のメイン・イヴェント「貴婦人の肖像」と対面する。うれしくも冷静に見てみると、画面の左側アンテアの右腕が衣装や貂の毛皮とともに妙に大きく描かれているのに気がついた。でもやっぱりアンテアの引き締まった顔と射すくめるような鋭い眼差しは健在だ。暫く立ち止まってゆっくり鑑賞する。また少しずつ歩いて、ティツィアーノの「マグダラのマリア」を通り過ぎる。それを過ぎると時代が下っていわゆるバロックの時代にはいるのだが、コレッジョ以降流行した、気味の悪い青白い肌色や大味な構成に辟易して、さらにモデルがあんまり好みではないのでさっさと通り過ぎてしまう。そうしてまたアンテアに戻る。見れば見るほど不自然なのだが、それでもやっぱり、パルミジャニーノの魅力に負けてしまう。スツールに居座り、まったりと無言でアンテアと対峙していると、見終わったK氏が戻ってきた。
奥の部屋、作品のほとんどが気に入らないのだが一点だけ表情が良いのだという。フランチェスコ・グアリーノ「聖アガタ」、確かに挑むような視線と、傷ついた胸を押さえながら気丈に拒絶する表情が素晴らしい。乳房を傷つけるというサディスティックな趣向が好まれたこの題材だが、胸も隠しているし、表情も凛としていて、いっそすがしいくらいだ。なんだかうれしくなって、色々しゃべり出すと止まらなくなったのは素天堂である。アンテアの構図をけなしたり、ピーノの「マギ」の前にいって、若い博士の後ろ姿、黄色いトーガを纏いながら、背中やお尻、足まで露わに描いたその描き方を示しながら、髭を生やして、幼児キリストの足の爪先に接吻する三博士の一人がきっと注文主で、当時愛人だったこの美青年を描かせたのだとか、あることないこと大爆発。結局、最後まで喋りっぱなしだったような気がする。
考えてみれば、数十年、西洋に限らず美術の鑑賞を愛好してきたが、そんな風に砕けて見ようと思ったことなどなかった気がする。三度目に出逢ったアンテアがもしかすると、もうそんな見方ばかりしても仕方がないと言ってくれたのかも知れない。肩の力が抜け、絵の中に入って遊べるような感じさえする。なんだか軽くなって表に出た。あたりは既に夕暮れ。その足で御徒町に向かい、K氏のリクエストで探しておいたホルモンのお店へゆく。ちょっと待つというのだが、生ビールを出して貰いノンビリ階段で待っていると、飲みきらない前にお声がかかった。そこからはホルモン三昧。なかなか筋の良い店員さんも心地よく、一日が終わった。何とも幸福な、アンテアとの三度目の出逢いでありました。