使わなかった口絵と虫本


こんな赤字を山と受けながら、叱咤の嵐と、四校、五校の嵐を浴びながらも、やっと終わった修羅場の中から、こんな裏話を一つ。

古風な左流しのタイトル「ペレアとメラサンド」劇。レフレル教授図案。
とある。読みにくいかもしれないが、メーテルリンクの戯曲「ペレアスとメリザンド」の舞台デザインである。素天堂は気に入っていたのだが、カラーでもあり地味な色調はモノクロ化すると見栄えもよくないし、直接テーマ(伝承・神話の真偽)と関係しないこともあって今号の口絵からは採用を見送った。
掲載の本は、挿入図版の多い定価五円とは大正九年の本としては高価なもののようだ。内田老鶴圃出版の『舞臺藝術』。背表紙に原著者の名前はないが、新關良三譯である。

二色刷の扉には、カアル・ハアゲマン著と書かれている。副題に「演劇の實際と理論」とあるとおり、一九一九年代の最新の演劇論であり、エッセイ「野毛の牡蛎」に書かれた、若かりし虫太郎が演劇青年だった時の参考書だったのである。最先端の表現主義映画、ラインハルトの演劇理論や、欧州の劇場設備についての詳細は、西洋演劇の最良の情報を彼に与えたものだったと思われる。ある劇場での回り舞台の図面などは、「オフェリア殺し」の舞台構想にきっと大きな影響を与えたことだろう。
そんな本を、修羅場の真っ最中、あの厳松堂の閉店セールで手にしたのである。こともあろうに、投げ売りの真っ只中、雑踏する店内で偶然、手にとったのがこんな本だったとは、きっと今年の天使の働きはここまでなのだろう。今年は、神保町の天使もいやと言うほど働いてくれたし、健闘にお礼を言っておこう。