マセレールと新版画集団 追記

前回唐突に名前を出した、フランス・マセレール(マセリールとも呼ぶ)だが、大正末期から昭和初期にかけて丸木砂土秦豊吉)の著作の挿入図版や、美術専門誌での紹介で、結構知られた存在だった。前回の図版はネットからの引用だったが、素天堂は大正期の美術雑誌で複製されたa novel-without-words「太陽を追うもの」1919の四十枚の組み版画(六十三枚から抄出)シリーズを複写して保存している。今雑誌の現物を出せないので正確な日時を確認できないが、大きな目標であった表現派の版画家の一人として、当時の版画を志す若い人には大きな刺激だったはずだ。

題材は、ある版画家の夢の中で、彼の分身が太陽を追い求めて、あちこちで障碍に会いながらついには太陽に到達するが、その熱に焼けこげて地上に戻り、その瞬間に本人の目が覚めるというもの。ストーリーは陳腐だが、それを一切のキャプションもつけない、純粋な版画だけで物語るという手法は彼の独自の手法だ。鋭い描線と黒白のはっきりした作品で、今でも欧米では現役で出版され続けている。
第一次世界大戦時の反戦主義者、社会主義者であったマセレールは、これ以外にも「都市」1925という木版画による都市生活の矛盾を描いた大作がある。小野たちは、この精神を日本で活かそうと思ったのかも知れない。

小野の作品『三代の死 字ノ無イ小説』でははっきり副題に痕跡を残しているマセレールだが、グラフィックな明晰さは小野の作風には反映されることはなかった。