大きな欠落

時間の都合がつくようになって、K氏の集めてきたパンフレットをみていて、発作的に前に見た鈴木清順版を思い出し、まったく予備知識のないまま神保町シアターへ。我が身を省みずホールを埋める観客の高齢度に驚く。なんでも、上映後フィルムが散逸し、上映不可能だとされていた作品なのだそうだ。<『肉体の門』1948マキノ正博(雅弘)版、楽しみにしていたのだがただの珍品。当時の制約を考えたとしても、あんまりだ。お蔵入りに本人はしたかったのか?
某呟きでこう書いて終わろうと思ったが、テーマ自体に興味を引かれてちょっと調べる。タイトルバックに流れる音楽がどこかで聞いたような感じだったが、今でも偏愛する菊池章子の名曲『星の流れに』と同じ作曲家、作詞家のものだという。にしては妙に未消化な曲想で、イマイチ乗れなかった。タイトルが終わると、終戦直後の数寄屋橋近辺が映される。まだまだ戦災の後の生々しい頃だから、焼け残った日劇とか朝日新聞のような建物の寸景だけが一瞬流れただけ。カメラは後に埋め立てられた数寄屋橋周辺の川端、焼け跡の地下へ降りる、階段の崩れた私道と、向こう岸にあるらしい書き割りのような妙に綺麗に見える教会を映す(再建されたプロテスタント系の銀座教会ではないのかと思うが確認は出来なかった)映画の中の世界はそれだけ。映画産業ばかりではなく、当時の物資不足の状況ではあれだけのオープンセットは組めなかったのではないかと思うのだが。
当時の日比谷から銀座にかけて、焼け残れた主立った建造物は占領米軍に接収され、米兵が割拠していたはずなのに作中、一度も米兵は姿を見せない。僅かに白ペンキに塗られた方向表示板に、ローマ字で地名が書かれているのでそれと知られるが、多分それは消すに消せなかった当時の占領軍統治の痕跡だろう。
後に「山猫マヤ」と名乗ることになる戦災孤児の少女が、教会の婚礼に憧れて乗用車に乗った花嫁(当然それが出来る特権階級だ)を舐めるように見続けるシーンが印象的だが、それは伏線だった。まだ参列者の残る表から、教会の牧師の部屋に入りこんで少女が聖書の上のロザリオをかっぱらおうとするが牧師に見られ、返そうとするが牧師から教会に来ることを条件にそれを贈られる。まぁ、ジャンバルジャンのエピソードですね。
娼婦たちの仲間に入ったマヤが、掟を破って露天にたむろする客の財布をすろうとして掴まった客(田端義夫!)、妙に羽振りのいいその青年の、部屋の窓に書かれた英文らしい文字の殴り書きと窓の外の焼け跡の空き地が、(舞台である娼婦たちのアジトを除けば)唯一この映画で描かれた戦災の痕跡なのだ。金を受け取りながら逃げる彼女の長いシーンは、まるで、黒い幕の前を女優が駈けているだけのようだったが、それも却ってこれからはいる世界への、少女の恐怖心の風景だったのかも知れない。
秦豊吉のプロデュースによる、田村泰次郎原作の舞台を映画にしたこの作品だが、以後、教会とパンパンという(映画では一切出てこないが、米兵相手が主だった)娼婦たちとの関係が、ストーリーの表に出てくる。売春婦と宗教による矯正という問題が妙にはっきりと出されているので、本来のストーリーである娼婦たちの掟(窃盗や強盗に対する嫌悪、恋愛の御法度等)と、それに反するものへの凄惨なリンチという一番大事なテーマがまったく薄められてしまった。敗戦後の混乱期を正面から描こうとしたこの映画が、結局女同士の遊び半分にしか見えない掟ごっこや、陳腐な恋愛至上主義に終わってしまっているのも、後に控えた占領軍の権力など描けるはずもない、昭和二十三年という時代が残した結構重要な欠落の痕跡であり、無言だからこそ大事な証言だったのかも知れない。
偉大なエンターテインメイント作家であるマキノ雅弘であるから、何もこんな大上段な結論など、ちゃんちゃらおかしいというかも知れないが、数十年のフィルムの行方不明というエピソードが、なんだか監督がこの映画を恥ずかしいもののように思っていたのではないかと考えさせる理由がそれなのだ。