中世も大詰めだ といいながらまたまた展覧会三昧

前回書いた「ユベール・ロベール時間の庭 展」、開催を喜んでばかりで、観られなかった作品のことしか描いていなかったことに今更ながら気がついた。

十八世紀ロココの時代、“過去”を発見するという新しい感覚の中で、過去と共に生き続けてきた人々の生活を描いたロベールのデッサン群は、過去の遺産をすでに価値の定まったものとして崇めようとする、我々にとっては奇妙な違和感をもたらす。

水辺にあれば洗濯女の物干場となり、街中ならば、貧民の寝床代わりとなる古代遺跡の描写は、今の我々にとっては考えられない価値観なのだが、ルネサンスで見直されたはずの古代ローマの、置き忘れていった文明の痕跡は、そこで暮らすヨーロッパの田舎に暮らす人にとっては永遠の昔から存在した、自然の一部でしかなかった。
だからこそ、実は歴史としての人類の過去が、そこにあると理解した時、古代の文明ははじめて、驚異となったのである。素材としてのデッサンの生活感と、完成品としての油彩画での壮大な建築幻想との落差の原因はそこにある。油彩の作品だけでは理解しきれない、「廃墟の画家」ユベール・ロベールの楽観的な世界観が、はじめて見えてくる。
ローマを中心とするイタリアで画家活動を行っていた、同時代の「牢獄の画家」ピラネージの、歴史に打ちひしがれたある意味絶望的な画想の差は、今回の並列的な展観で改めて浮彫にされたといってもいい。自分の長い間抱えてきた疑問が、はじめて具体的に明かされたのであった。
疑問、違和感といえば、もう一つ、『藤牧義夫 生誕百年展』を、最終日、再訪してきた。付録だったDVDは、もう品切れだそうだが地味な展覧会にしては最後まで観覧者が途絶えなかったようだ。
展示替えの目玉だった、絵巻の二点はやはり圧巻。「申考園」での、スケッチとスケッチを繋ぐ、いわゆる、アタリの点はやはり作品の現物を見なければ気づかなかったもので、藤牧の構想を明らかにするものだったと思う。それにしても、たった数年でのこの描線に辿りついた彼の才能は恐るべきものだったし、それを完成させることなくこの世から消されてしまった不条理は、あまりにも無念である。
また、版画作品とともに、印刷物に残った彼のコメントの断片から、彼の当時興味を持っていたらしい未来派的なメカニック志向と、教養の水準がよくわかる。この前向きな尖端的といってもいい彼のセンスは、それを引き継ごうとしたある人物の感性では最後まで理解できなかったものだろう。
次にいつ観られるかわからない彼の作品を堪能し、第二会場に入る。違和感のもととなった作品の印刷物出品、別テイクの「給油所」を観る。
そして、ミュージアムショップにはいると、壁に沿って今までに発表された文献とともに、藤牧の紹介者であった人の編纂した画集が、今回展示されていない〈彼の作品〉の掲載されたページが開かれているのである。この人物に関してある版画家の、興味ある発言をネット上で見つけたので紹介しておく。『真夏の夜はミステリー』と題された小文である。閲覧できるうちに見ておきたいスリリングな内容である。