カチッ、ブーン、リリリ

あまりにもアナログなこのスィッチ音が、だからこそ頭に残って離れないのだが、その年の『SFマガジン』新年号、巻頭言の始まりだった。今から思えば古臭い機械音だが、古い〈科学未来映画〉などで見られる実験室や宇宙船操縦室のイメージがする。
編集部F氏にとっては、それが宇宙からの通信のようなSF的表現だったのだろう。未だ人類は月にいっていなかった。六十年代始め、渋谷のプラネタリウムに通っていた星好き小学生が、奇妙な表紙に惹かれて買いはじめたのがその雑誌だった。以前書いた思い出話を引用する。<<自分の自由になるお金ができて最初に定期購読したのが「SFマガジン」だった。表紙どころか別刷りページもなくなったその頃の現物は今でも手元にある。フレデリック・ブラウンの「狂った星座」レイ・ブラッドベリの「イカロス・モンゴルフィエ・ライト」R・Aハインラインの「輪廻の蛇」ジャック・フィニイ「地下三階」そしてダニエル・キイスアルジャーノンに花束を」。これらは多分、今に至るも自己ベストだと思う。こんな世界を知った小学生が奇妙な世界に狂ってしまうのは当然だろう。>>
今となっては陳腐とさえ言える定番の作家たちだが、この頃は、ここでしか眼にできない顔ぶれであった。それ以前にもいくつかの小さな試動はあったにしても、日本に根付いたのはここからに間違いない。そのうちに、裏表紙でオリジナルの超短篇(当時はショート・ショートといった)の公募と発表が行われ、その中から日本人作家が登場してきた。F氏の思惑は大成功だったと言っていい。同時に他誌ですでに活動を始めていた星新一小松左京筒井康隆も戦列に加わって、国産SFというジャンルが胎動する。
しかし戦線の充実は別な事態を引き起こす。
中学生当時の友人の一人が、小松の作品集『地には平和を』を読んで、「SFがこんなに面白くていいのか」と呟いたのを覚えている。F氏がキャンペーンを張っていた「新しい恐怖、新しい文学」とは、違ってきていたのかも知れない。とはいえ、世間的に公認されたというのは、マニアにとっては嬉しくもあり、「なんでもSF」という言葉に踊った時期でもある。しかし、創刊から十年たった七十年代始めに、ファンタジイや、スペース・オペラなどのジャンルが紹介され、好評を得てくるに従って本誌『SFマガジン』の変質が起きてくる。自分が購読を止めたのがその頃だった。
そのうちに、いわゆるS.F.的思考が一般的に受け入れられ、大衆誌や文学誌にもSF紛いの作品が出現するに及んで、SFという観念は拡散していくようになった。さらに『SFマガジン』から育った作家も普通に一般誌に登場するようになって、本誌のSFの〈牙城〉としての意味は薄れていくようになってくる。市場としてのジャンルの拡大が、拡散と重なり専門誌としての居場所を失うというのは、探偵小説における『宝石』の失速ですでに起きたことがあったはずだが、このジャンルでも結局専門誌として前車の轍を踏んでしまったと言っていい。いわばそれが「SF冬の時代』ということなのではないか。
ジャンルとしては決して、SFは衰退したことなどないはずだ。タイムトリップや空間転移などのSF的観念が何の違和感もなくCFやコミックに登場するというのはそういうことなのだと思っている。自分自身はすでに七十年代半ばに、いわゆるマニアから戦線離脱した人間だが、その初期の記憶を残しておいてもいいかのかも知れないとおもい、一言書かせて頂いた。