大っきい龍に会いに行く

今日もお出かけ。上野の山に里帰りした『特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝』を拝観である。

明治初頭の混乱期に、無惨にも焼かれそうに、或いは路傍に廃されそうになったはずの仏画や仏像、画壇から無視されて、二束三文で海外に売り飛ばされた数々の諸作品が、掬い上げられて再評価されるのは好ましいことだが、見に来ている人の大多数は、なぜこれらの重要な作品が、海外にあるのか多分考えもしないだろう。まぼろしの国宝とはよくもいったものだ。憎まれ口はともかく、一番逢いたかった〈彼〉はやっぱり楽しく現代的なデザイン性まで持っていた。
ダイナミックで、ユーモラスでさえあるあの龍は、今回の大目玉となって巷間にポスターやCMで知れ渡った。実際に出会ってその大きさにビックリするかも知れないが、その大きさゆえに、百年以上に渉って丸められたままボストン美術館の倉庫に眠っていたのである。

1971年、新宿小田急百貨店で行われた『近世異端の美術 簫白と蘆雪を中心に』でそれまで、好事家、もしくは奇特な研究家以外にはほとんど知られていなかった画家たちが紹介されて以来まぼろしだったが、今回展観の目玉となって、簫白の「雲竜図」が大修復のうえで今、帰ってきた。前記図録の解説で、いみじくも奇特な研究者の一人であった鈴木進の予言どおり、美術史の書き換えという「逆転劇」は、四十年を越えて今おこなわれたのである。
当時二十歳を過ぎたばかりの自分たちにとっては、新しい視点の日本美術に関する、待ち望んでいた展観だったけれども、当時の目玉展示だった「群仙図屏風」が重要文化財に指定されたのは、つい最近2005年のことなのだ。


洗練された画風とはいいがたい、やっぱり面白い怖い絵である。
画像についてはいつもお世話になっている「無為庵乃書窓」からお借りした。簫白描く、細部の凄みはこちらで拡大してご覧になって頂きたい。まるで、江戸のテーマパークのような楽しさが詰まっています。
当時話題になり始めた若沖が展観のメインから外れているのには、当時並行して企画された他の展覧会があったためで、企画者の念頭には若沖を中心にする予定があったことが図録解説にはかかれている。