ジーバーベルグは映画を終わらせるのが怖いのか

三回目のアテネ・フランセ。ドイツのあまり知られていない監督、ハンス・ユルゲン・ジーバーベルクの上映8月18日(土)。「ルートヴィヒII世のためのレクイエム」「カール・マイ」の二本立て、通算六時間超。ヴィスコンティ顔負けの長尺だった。バイエルン最後の国王ルートヴィヒ二世はともかく、カール・マイなどという作家はほとんど聞いたことはない。それが三時間超えということで不安たっぷりだった。
一本目は、「レクイエム」。開巻劈頭、妙な書き割りの前で朗唱する父ルトヴィヒ一世の愛人、ローラ・モンテスの王家への呪い。いったいどうなるのかとの危惧を裏切ることなく、全編が書き割りの前の活人画で通すという力業である。その唄いあげるように読み上げられる台詞も、基礎知識がなければ理解しきれない唐突さで、繰り広げられる。オペラではないが対訳シナリオが欲しいくらい。ウィーン幻想派の重鎮、ユダヤ人の画家エルンスト・フックスとか、ところどころにこちらの無知を逆なでするような、聞き取りと字幕では取り切れない固有名詞やエピソードが噴出する。
突っ放されるような台詞と画面転換でありながら、強烈な美学で人を引きつける魅力をももった作品ではあるが、とにかく終わらない。エンディング間近になっても、だめ押しの小さなエピソードが続いて、この監督は作品を終わらせたくないかと思ったところ、やっと終わった。そこからのエンド・タイトルが挑戦的にまた長い! その中でキャストにダニエル・シュミットの名前が見える。確かに、作画的には、共通するものがあるが俳優であったとは初耳だった。
休憩をはさんで次の作品が、同じような傾向で続けられては、正直たまらないと思ったのだが、どうやら今度の作品「カール・マイ」は普通に映画だった。扇情的な大衆小説からスタートして、冒険小説で一家をなしたドイツ作家が、晩年に遭遇する、奇妙な名誉毀損事件がテーマになっている。ただ、この作品も監督の考えをすべて収めないと気が済まないようで、エピソードの密度が濃く、出演者の演技も濃厚なので、確かにおなかいっぱいになる。カール・マイを中心を巡る敵対関係も面白いのだが、とにかく長い。
主人公の死でやっと終わったと思ってからがまた、長い。本人の回顧や敵グループの首魁の隠された意図にもうんざり、とにかくジーバーベルグは思ったことの全部を観客に開示しなければ気が済まないらしく、エンディングが十分以上とは。やっと解放されて表に出た瞬間、もういいやと思ったのが正直な感想であった。