PDF化作業中の拾いもの 「プシアーデ」の原本発見

比較的順調に、PDF化の進行中。とは言っても無理矢理構成した、ぎりぎりの誌面は単純な縮小では終わらない。いろいろ小細工のし直しで一日一冊というわけには行かない。そのうえ、冊子形態では不可能だったイラストのカラー化が結構大変で、あるはずの元図版が削除されていて、最初っから取り込み直したりで、楽しいのは勿論だが、時間はそれに大部分取られてしまう。そればかりでなく和文英文の混在や、ルビ表記など問題は山積みだ。一ヶ月かかってやっと、第八号まで辿りついた。
その中に医学史の先駆、富士川游の講演原稿「不死論」が復刻されている。『黒死館』中、最もありそうもない「精神萌芽プシアーデ」の元ネタだと思われるものである。
文中書名は『比較精神学』と訳されていたが、著者名と当該語彙には、丁寧に原語が表記されている。著者名はフリッツ・シュルチェFritz Shultze、プシアーデはPsyadeである。
八号の準備中にも検索はかけたはずだが、取りあえず、不明語彙で見送った記憶がある。
今回も試みに検索をかけたが、当然、別人しか出てこない。そこで、発行年が明記されていたので著者名と年代を並列して、入力したら意外なことに、googleさんから、イエロー・カードが出てきたのである。貴殿の入力された「Fritz Shultze」は「Fritz Schultze」の誤りではないかと。指摘に従い検索をし直すと『Vergleichende Seelenkunde 』二巻本(1892) という本が現れた。ありがたいことに、テキストも、原著の書影もネット上に存在するのだ。
早速、テキストをダウンロードして、「Psyade」で検索した。やっぱり出てこない。虫太郎はともかくあの、富士川先生までもが捏造かと思ったが、気を取り直して、講義録中にもう一つ挙げられていた「Trieb」で、再検索してみた。結構厚いらしい厖大な本文を一語ずつたどっていったらなんと、数十回目に近くに「Psychade」という語彙が目についた。そう、これこそが躓きの石「プシアーデ」の原語だったのである。
百年前の大正時代、一生懸命外国語と格闘する知識人の、苦悩を彷彿とさせる一瞬であった。著者名ではアルファベットc一つ、語彙ではch二文字、富士川先生の記憶違いか、編集陣の転記時の脱字か、今となっては経緯の定かではない小さなミスだったのである。まさか、百年もたって誤植をとがめ立てされるとは、著者も編集も思ってはいなかったろう。
で、その結果だが、改めて「Psychade」でテキストを探ると、一巻目の後半、広い範囲で百回近く登場し、著者にとっては重要なテーマだったことが、文意はともかく、意図としてはわかったのである。
でまた一つ大きな疑問が。
(この説は、狂信的な精神科学者特有のもので、一種の輪廻説である。即ち、死後肉体から離れた精神は、無意識の状態となって永存する。それは非常に低いもので意識を現す事は不可能だが、一種の衝動作用を生む力はあるという。そして、生死の境を流転して、時折潜在意識の中にも出現すると唱えるけれども、この種の学説中での最も合理的な一つである)と書き、著者名をシュルツ(フリッツ・シュルツ――前世紀独逸の心理学者)と微妙に表記換えした虫太郎は、果たして、原著と取っ組んで居たのだろうかと。
富士川先生、あらぬ疑いをかけてごめんなさい。