富岡センチメンタルジャーニーII


ついに富岡製糸場に到着。どこから湧いてきたのか、ここだけすごい人が。やはり世界遺産登録間近のパワーでしょうか。

タイミングよくガイドさんに案内してもらえることになり、面白い見学ができました。とはいえ、社会科見学といえばすぐに道から逸れて雲隠れしていた僕は、話半分で隙間を縫って写真撮影に飛び回る。
こちらは、奥行き140mにも及ぶ操糸場を外から眺めたところ。

操糸場内部の天井の骨組が素晴らしい。

茹でた繭から糸を繰り出し、何本もの緒を探って長く伸びる正緒を探って糸を巻いていくらしい。VTR見せてもらって、なるほどと感心する。
来ていたお子様たちは結構つまらなそうで、立ち入り禁止区域などにちょこまか侵入。たしかに如何に最新の技術が輸入されていたと、絹の大衆化がなされた重要な拠点といわれても、つまんなく感じるかもね。

居並ぶ機械上部に掲げられていた、生産目標でしょうか。

各地で製糸の指導員となるために好条件で勤めていた工女さんを指導するフランス人教師の住んでいた女工館や診療所が並んでいて、広々とした木造洋風家屋がとても保存状態良く残されていました。窓やベランダが大きく取ってあって、風が入ると夏でも涼しそう。
西洋建築好き、神戸のシューエケ邸が大好きな素は、この辺りの風情が気に入っただろうか。外観のみの見学だったのは残念だけどね。

ガイドのおじさんの40分におよぶ熱い解説が終わると、みな三々五々中庭の方へ進んでいきます。乾燥場を脇にみて中に進んでいくと、西繭倉庫の赤煉瓦が見えてきます。

敷地中央の煙突を見上げてます。

綺麗に保存されているとはいえ、ちょっと裏手に回ると錆びた部分がそこここにあって、むしろこういう廃墟的な絵の方が面白かったりする。
一時間以上、たっぷり見学して、資料館では素に繭の話を解説してもらう。
製糸場を後にした我々は、さっきとは違う道を辿って喫茶店に向かう。寂れてはいても、製糸場の周りは繁華街の匂いが残っていて、この辺りに電気館っていう映画館があって観に来たよと、教えてもらう。

そろそろセンチメンタルジャーニーも終盤。16時を過ぎました。
駅に戻ってみると、ロータリーには乗り合いタクシーが。あちこちで錆びたバス停標識は見ていたけど、本当に走っているのはバスではなかった。期待して待っていたら、絶対止められなかったよ。でも、タクシーとはいえ十人は乗れそうな大型でした。

行きは高速バスだったから、帰りは単線の上信電鉄に乗ってみよう。

外にあるトイレは、電気機関車デキ号の形をしていて可愛いです。

時刻表。喫茶店で、一時間に一本だから気をつけてと言われたけど、とりあえず16時台は二本ありました。改札はぎりぎりにならないと開かないので、みんな待合でぼんやり。

そろそろ電車来るかな。ホームの柱は、レールのリサイクル。
昔は単線で上下線がぶつからないように、瓢箪型のタブレットというものを運転手さんが交換し、それをもっている方だけが通過できるようになっていたとか。そんな話も喫茶店でできて、随分盛り上がっていた。

ついに来ました、高崎行き二両編成。これはどうやら500形みたいです。西武鉄道の車体を改造して譲り受けたものらしいですね。帰って調べました。ワンマンなので、無人駅では先頭の扉から乗り降りしないといけないようです。

いざ乗り込み。いざさらば、富岡。

向かいの下りホームに停まっていた、群馬サファリパーク広告付き電車もかっこよかった。途中の馬庭という駅では、富岡まで送り迎えしてくれたお父さんが、毎回ここは剣術・馬庭念流の発生の地だと教えてくれたそう。

30分、あっという間に高崎駅0番線に到着。楽しい日帰り旅行も、あとは高崎線で上野に出ればおしまい。一日沢山歩いたね。お疲れ様でした。ただ「富岡に来たことがあるんです」では、いくら地元の人とはいえ反応はそっけなかったはず。素の中に残っていた地名やたくさんの鮮明な思い出があって初めて、みんな温かく昔話をしてくれたのだと思います。面白かったね。