FLライトと芦屋の迷路行脚。

二十一日は、芦屋に戻ってフランク・ロイド・ライトの小品「旧山邑邸(現ヨドコウ迎賓館)」が目標。
阪急芦屋川を降りると小さな駅前商店街、肉屋の店頭で一家言を語るおじさんを横目にしていると、目敏くK氏が上品な洋館を発見。S医院であった。商店街を通り過ぎるところに、素天堂好みの木造家屋がさらに登場する。

山側を見上げると小高い丘の上にいかにもライト風の塔屋が眼に入った。川沿いの坂道をもう少し登っていくとその対面の丘の上に大きな西洋館がライト建築を圧するように現れた。
訪れたことのない街、踏んだことのない新しい道をきっちりと見せてくれるK氏の予定をいつの間にか自分の好奇心で崩してしまうのだが、今回もそんな予感がする。

目前にライトの貴重な作品がありながら、目標が朦朧とし始める。とにかく、最初のライトだけはクリアしなければならない。
結構急な坂の中腹に「ヨドコウ迎賓館」の表札が、眼に入る。長いエントランスを通り抜けると、大谷石を組み上げた如何にもライト風の玄関と出会う。小さな玄関の受付を入ると和洋折衷のふしぎな空間が拡がっている。素天堂愛飲だった「桜正宗」の醸造元、山邑氏の依頼で作られたこの小邸はライトの様式を表しながら、和風表現が際立つという面白い成り立ちなのだ。

芦屋の丘の海を望む中腹に突き出すように建造されたこの屋敷には、如何にも睥睨するという言葉がふさわしい。後を引く旧山邑邸を出て、さっきから気になっていた向かいの丘に向かう。広くない道だが交通量が多く、坂上に歩道橋が見えたが、それはどうやら小学校専用のものらしく、大人は自己責任で信号のない道を渡れということである。とはいえ、坂下や向かいからは偉容を示す洋館なのだが、当然非公開の私邸なので、近づけば近づくほど見えなくなってくる。
 

遠回りに洋館を巡って駅に向かおうとするのだが、細い細切れの道が縦横に絡まって、下に降りようとしても、どうしても川にたどり着けない。結局、K氏の提案でJR芦屋駅を目指す。芦屋の街を偶然とは言いながら十分満喫できた。
駅ビルのカフェでお茶とお昼を済ませて、今度は舞子方面を探訪に向かう。須磨公園を過ぎたあたりから山側にポツポツと洋館が目についた。その時は見るだけかと思っていたのだが。 
舞子駅を出て最初の衝撃が、駅を跨ぐ巨大な明石海峡大橋。橋脚の下に拡がる広大な舞子公園を巡る。園内には孫文所縁の移情閣や鐘紡の功績者武藤山治邸が移築されている。園内では好天の日曜日でもあり、いろいろなイヴェントが行われている。孫文記念館は外からの観覧ですませ、賑やかな海岸縁を通り抜けて武藤邸を覗く。小さいながら明治の雰囲気を残したいい邸宅であった。意外な拾い物、フランス文学では知る人も多い朝吹三吉、登水子兄弟は縁続きなのだった。



もう一つの目標木下邸を園内地図で確認しても、なかなか見つからない。公園自体が鉄道線路と一般道路によって分断されていて、どう動いてよいのかさえわかりづらかった。そのうちにJRの線路の向こう側にあるようで、案内板を頼りに歩き始めるもののなかなかたどり着けない。ないないづくしで不安になってきたとたん右手の奥に木下邸の入り口表示が見えた。ゆっくりと邸内を巡ると戦時中の建造物とは思えない立派な建築だった。一般的な和風建築が自然消滅の形で消えていくこのときに、震災後の修復を終えた戦前の和風家屋の保存は確かに必要なことなのかもしれない。

   
ほっとしたのは束の間、次の目標だという舞子ホテルなのだが、明石大橋下を通り過ぎる道が見つからない。近辺のビルを通り抜けてやっと、舞子ホテルへの道を発見。入りにくいエントランスを無理矢理入ってみると、入り口付近に小さいが花の多い萩の木が出迎えてくれた。入り口はアーチ型の両側を美しいステンド・グラスで飾った車寄せ。試しに入らせてもらって館内を見学して退出した。思ったより時間が早かったので、山陽電鉄の舞子公園から塩屋に戻って、沿線で朝見た洋館を見て回ることにしたのだが、それが何ともきつい今日三回目の徒歩地獄の始まりだった。
   
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沿線に見えているのに、駅を降りると見えなくなる幻の洋館たちを求めて、塩屋の町を歩いたのだけれど、言語道断の踏切の形状から始まった高低差の激しい、曲がりくねった細道を洋館を求めて彷徨う二時間は楽しい迷路巡りだった。くたびれきった二人は、K氏共々、元町へ戻り駅前で捜しておいた「串カツ屋」で疲れをほぐして、北の坂の定宿へと戻ったのである。