踊る少女に魅せられて サロメ諸相

ご多分に漏れず、その少女に出逢ったのはユイスマンス『さかしま』なのだった。生意気な高校生は、第一回配本だった『大伽藍』で桃源社版「世界異端の文学シリーズ」の存在を知って、それまで高価で入手できなかった『さかしま』を読むことができた。
『大伽藍』冒頭の堂内の描写に感動した彼は、他のユイスマンス作品を心待ちにしていたものだった。刊行リストを改めて見てみると、当時の彼の興奮が手に取るようにわかる。

  • 「大伽藍」 ユイスマン 1966 3月 出口裕弘訳 1995
  • 「小遊星物語」 シェアーバルト 1966 5月 種村季弘訳 1995
  • 「生きている過去」 レニエ 1966 7月 窪田般弥訳 1989
  • 「さかしま」 ユイスマン 1966 8月 澁澤龍彦訳 2002
  • 「彼方」 ユイスマン 1966 10月 田辺貞之助訳 1975
  • 「肉の影」 クロソウスキー 1967 2月 初版 小島俊明 訳 1985*改題『バフォメット』

順調に隔月で刊行されたシリーズがどれだけ当時の若者に影響を与えたかは、厳選された収録作は、当時売れ行きこそ芳しくなかったかもしれないが、以後三十年にわたって何らかの形で再刊を果たしていることであきらかだ。
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さて、サロメだ。ユイスマンスは、自ら作りあげた閉ざされた部屋の中で、傍らに置かれた絵の中の少女をこう語る。
彼女はいわば不滅の「淫蕩」の象徴的な女神、不朽の「ヒステリイ」の女神、呪われた「美」の女神となった。その肉を堅くし筋肉を強張らせたカタレプシーによって、彼女はすべての女たちの中から特に選ばれたのである。
少年にとって、今まで読んだことのない高踏的な文章と、モノクロながら、煌びやかで異国的なモローの作品に初めて出逢ったのだ。
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すっかりサロメに夢中になった高校生は、岩波文庫で『サロメ』が読めることを知って、また一つ深みに嵌まっていった。何しろ、オスカー・ワイルドとオーブリー・ビアズリー、世紀末の二大巨頭との出逢いだった。ワイルドの尖った台詞とエキセントリックな挿絵が彼の心をとらえた。
とらわれの聖者に抱く強烈な、処女故の恋慕は窮極の結末へと向かう。畏れと自負の相俟ったサロメのダンスは、高校生の素天堂を奈落の至高へと誘った。
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ここから、幻想と世紀末なければ夜も日も明けぬ体であったが、あいにく、最高峰に出逢ったあとではこれという理想の少女に巡り会うことは叶わなかった。古い雑誌や舞台写真などいろいろ探してみたものの、題材としては魅力的だが、演じる女優に難があった。なにしろ当時の女優さんは肉感的ではあるが、ビアズリーやモローのもたらす、神秘性に全く欠けていたのである。たとえ、あこがれのタマラ・カルサヴィーナであっても。
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1908 theda
maude rita1953
最後のリタ・ヘイワースの『サロメ』ちょっと見てみたい気はするが、たぶんハリウッド・スペクタクルなんだろうなあ。と、そんな訳で前の日記へ続くのである。