森川町の裏道で。「東日本大震災に学ぶ〈2〉」in 求道会館


サイレント映画の伴奏で活躍されるピアニスト柳下美恵さんの告知からだという、最近古い映画に嵌まっているK氏のTLで知ったこのイヴェント。勤務事情で参加できない、K氏の代わりに参加してきました。内容はともかく、関西建築界の巨人武田五一、初期の設計による会場、求道(きゅうどう)会館の魅力に惹かれたのが正直なところでした。

正面の偉容には他の参加者の方も驚かれたようで、内外のあちこちでカメラのシャッター音が聞かれました。入り口になんの表示もないため、開場されたかどうかもわからず、躊躇しましたが、勇気ある方が扉を開けて開場を確認してくださり、無事入館できました。
いざ入館してみると、重厚な正面の意匠と内部の構成は全く異なり、ストレートに仏教的な正面の祭壇部と、それに対応するトラスのむき出しと、シンプルな階段や手すりの装飾は、新式な布教施設としてのバランスがとれた美しさを魅せていました。
肝腎のイヴェントは、まず主催であるNPO法人映画保存協会代表の方の挨拶と活動報告で始まり、被災地に移住されて活動を続けていらっしゃる小森はるか氏の活動報告と、実際に鹹水に浸かり、砂にまみれた被災ソフトの復元に携わっておられる、「株式会社東京光音」所長松本一正氏による、実際の清掃復元活動のレクチュアを受けることができた。特に松本氏の映像に対する愛情と熱意には感動するものがあった。
第二部は、柳下美恵さんの即興演奏により、復元された8ミリフィルムの家庭画像を挟んで、石巻の大規模な漁業祭の模様を撮した五十年代のモノクロ映像と、タイでの戦前の大洪水の記録映像が上映された。
冒頭で追加上映された石巻の映像は、往年の漁業華やかなりし頃の映像がダイナミックに再現されて、震災以前というより盛んだった当時の漁業事情が忍ばれて悲しかった。
メインと思われる、復元された気仙沼大島でのホーム・ムーヴィーは、退屈な日常というものがいかに儚いものかを感じさせるものだった。孫を撮る不慣れな祖母の手になるピンぼけ映像でさえ、今となっては貴重なものだろう。最盛期の被災観光地でのささやかな楽しみが全編から伝わってきて、それさえも悲しさを呼ぶものだった。
唯一海外の記録映像であったタイ、バンコクの洪水の記録は何故か明るく、やむを得ないボートでの行き来さえ楽しそうに見えた。
保存復元といえば、つい商業作品を考えてしまうことが多いのだが、商業映画でも、ロケによる街頭撮影などで思わぬ昔と出逢って驚くことがあるのだから、消えていってしまう過去を残すためには、沢山の私的映像が重要な働きをするのだということがわかった、重要なイヴェントでありました。なんの災害もない状況だとしても、時という容赦ない流れは徐々に、われわれの記憶から多くを消し去ってゆく、それに輪をかけるような自然の猛威に対して自分たちのできることを考えるのは、今からでも遅くないかもしれない。