ルマ・カラーインクと日本画顔料の魔術  桃苗さんとリュリュのこと

お隣町森下にある文化センター「田河水泡のらくろ館」で開催中の、「おおやちきの世界展」 関連イヴェント「『りぼん』と『ぶ〜け』とその時代〜超絶美麗な少女マンガたち」と題した松苗あけみさんをメインに、藤本由香里さんの進行によるトークショーを聴講してきました。
進行の藤本さんと現れた松苗さんは、漏れ聞くとおり『純情クレージーフルーツ』の桃苗さんがそのまま大きくなられた印象での登場でした。
まずは松苗さん所蔵の豊富な一次資料から撮影した貴重な画像をプロジェクターで流しながら、おおやさん(りぼん在籍中は大矢)の作品がいかに当時の少女漫画にとって先端的で、デザイン的に進んでいたかを検証。話は一条ゆかりさんの『デザイナー』への、おおやさん担当のニヒルな柾というキャラの登場から、漫画界でのアシスタントの仕事へと進みます。
高校時代から少女漫画家を目指していた松苗さんは漫画シーンへの参加から、最高水準の環境に置かれる幸運を得ていたようです。漫研時代から画力の突出していた(ご本人はそうはおっしゃいませんでしたが)松苗さんは、当時知り合いだったくじらいいくこさんを経由して、内田善美さんと知り合い、内田さんの後任として、一条ゆかりさんのアシスタントにつくことになったそうです。
おおやさんは残念ながら、既にコマ漫画としての少女漫画での業績を『回転木馬』で終え、松苗さんとはご一緒することはなかったそうですが、「はっぱの善美ちゃん」と異名をとった内田さんの繊細なバックの後釜を存分にこなし、徐々にその実力を蓄えていくのです。
トーク中にも触れられていましたが、松苗さんの周囲には一条さんをはじめ、おおやさん、内田さん、山岸凉子さんと、カラー画像の美しい名人がそろっていたのです。いわば、類は友を呼ぶということでしょうか。
りぼんでは作品発表の機会には恵まれなかった松苗さんでしたが、活動の場を、おおやさんも参加したサンリオの『リリカ』に移し、美しいカラー図版の制作から、編集部に誘われてコマ割のストーリー漫画へとそのスタンスを動かしていきました。この頃、固定した漫画家による誌面作りがされていた、漫画界で、ジャンルを問わず比較的自由な作画表現を許していた『リリカ』という雑誌の存在はもっと評価されてもいいかもしれません。
残念ながら『リリカ』は休刊してしまいますが、ほとんど間を置かず、『りぼんDX』の後継誌として創刊された『ぶーけ』に招聘されます。同誌は本誌出身の多数の絵の上手な作家さんを抱えながら、制作費の都合で、三色刷りを行っていたという、驚愕の事実がこのとき明らかにされました。松苗、内田、水樹和佳を初めとしてカラー図版の美しかった『ぶーけ』のお家の事情に館内は騒然となりました。
話は実作のテクニックに及び、使うインクや紙にまでとことんこだわった作家さんたちの苦闘に目を見張りました。後期の内田さんなどは、水彩やカラーインクに飽き足らず、日本画の顔料まで作画に使用したということで、さらにビックリしました。『星の時計のLidell』での深い色調はそこから来ていたのでしょう。
最後に漫画界の現状に触れ、例えば、月刊や週刊に縛られない現在の大人漫画界でなら、もしかすると、おおやさんや、内田さんのような丹念な作画や、深い内容にこだわる作家でも居場所はあったのではないかという言葉で結ばれました
ここまで、松苗さん秘蔵の各作家さんの原画の展観や、貴重な経験談が時間いっぱいまで続き、質疑応答へと移りました。その中で、『ぶーけ』の中で早くに消えていった、三岸せいこさんと内田善美さんの現在の状況に質問があり、三岸さんは元々教職にあり、そちらを優先させるということで漫画家を休まれ、内田さんは、現在もご実家でお元気だとの近況を松苗さんから伺うことができました。
個人的にうれしかったのは、作家さん方が影響を受けた絵画の話になった時、当然西洋世紀末の画家たちに話が及びましたが、とくに内田さんに対しては、アメリカのウィンスロー・ホーマーやマックスフォード・パリッシュの名前を挙げて頂いたのには、持論の補強として心強いものを感じました。
まだあちこちで、内田善美男性説にこだわっていらっしゃる方、内田善美さんは「女子美術大学」のご出身で、女性なんですよー。