新しい歌舞伎座から歌舞伎蕎麦が消えた件

明け方の雨が上がって、日も射してきた。と言うことで、ご無沙汰の銀座奥村書店を訪問することにした。月が変わって喧しい新・歌舞伎座周辺も気になっていた。
そこへ行くのに使うのは錦糸町発、森下、人形町日本橋兜町と経由する「築地駅」行きという、お気に入りの都バス路線なのである。バスの時間まで四ツ目通と新大橋通の角にある酒房「すみよし」でせいろの「深川めし」で腹ごしらえ。バスの車中では『ラインの伝説』を読む。
空模様がちょっと怪しそうだがそのまま「奥村書店」へ向かう。目標の立て看板が見えないので若干不安を抱きつつ辿りつくとちゃんと開いている。店頭の見切り棚を覗いて、入口から続く新書棚、ミステリ系の充実した一般書籍。いつものように『芸術新潮』『別冊太陽』の平台を確認。左手の文庫棚を物色して、講談社文庫版の『深夜の散歩』をみつける。柱に寄りかかるように置いてあるヴィジュアル本もしっかりチェックしないと、いけない。そこから、文学、ミステリ、書誌的な内容の本が並んで、芝居芸能関係の重い本が並ぶ棚へと繋がる。
突き当たりは、いつも重宝していた美術関係の棚だが、最近は買い手がないので棚も縮小気味である。もう一つの大きな特徴である番台前の島の棚は、東西の歴史や風俗、諸家のエッセイなどが並ぶ棚で、奥に並ぶ平台の美術本と共に、このお店の効き目と言える棚を精査する。
一回りが終わってここで始めて、ご主人と挨拶をするのが、このところの習わしになっている。
腰を落ち着けたとたんに、肩からずだ袋を提げた登山着のような女性が現れて、今回開場した歌舞伎座の印象を、とうとうと店主に語り始めた。昔からのお客さんらしく、いろいろ現状について苦言を呈していらっしゃった。二十年以上すぐ前に勤めていながら、歌舞伎座といえば左手の歌舞伎蕎麦にしか縁のなかった人間が口を挟むこともできなかったが、やっぱり、客層や手順がいろいろ変わっているようだった。
いつものように本話を延々と続けて結局五時、退出して昭和通りに出てみるとちょっと雨模様だった。そう言えば、歌舞伎座側の地下鉄出入り口が変わったと聞いていたので、晴海通の角を曲がると見慣れた、あの出入り口がない。戸惑いながら歌舞伎座を見ると、次の回待ちの列が長蛇をなしている。
そう言えばとみると、懐かしや、立ち食いのそば店がある、やれうれしやあの伝説の「掻き揚げそば」が復活したかと、店名も確認せずに、券売機の「天ぷらそば」表示に違和感を感じつつ入ってみると、何故か雰囲気が違う。
入ってきた扉を見ると見慣れた「富士蕎麦」のロゴがあって、壁には例の演歌歌手の恥ずかしいポスターが貼ってある。うわー、ここでなくても「富士そば」ならどこにでもあるだろう。と思いつついつもの通りの「天ぷらそば」を食べ終わって、ションボリおもてに出る。多分新しいビルでは二階に蕎麦打ちの機械を設置するわけにはいかなかったのだろう。そのかわりに……と言うわけだ。なんだかまるで自分がどこにいるかわからない状態で築地方面を見ると、ヒッソリと地下鉄表示を見つけられた。
エスカレーターを下り、地下に入るとまたさらに異空間が。どっから来たかわからないおじさんおばさんが、土産物屋にたかり、記念写真をとりまくっている。先程の女性が嘆くのも無理はないと思いつつ、静かに、その喧噪を離れて日比谷線の改札に進むと、その流れの端っこらしき家族が、夢中になってメトロのパンフレットを引っこ抜いているのを見つけた。
そうか、自分もこの間の阪急の駅でおんなじ事をやっていたっけと思い知らされた。