江東の巷で、ユーラシア漫遊ウィーク ルーブルのオリエントを中心に


まずその口切りは、月初に見た、野蛮でもない狩りでもないという『スタフ王の野蛮な狩り』の勢いを借りた、シネマヴェーラでのロシア映画傑作選。パラジャーノフのカルパチアを舞台にした、反共産、後ずさりの強烈お祭り土俗映画、火の馬の一度も出てこない『火の馬』と、国境地帯の長閑な町をタンクで荒らし回る、ソ連軍脱走兵を描いた共産体制翼賛プロパガンダ映画『鬼戦車T-34』、何とも強烈なカップリング番組から始まった。
それぞれが1964年という、東西冷戦(これも死語になってしまった)のまっただ中に作られた個性の強い作品で、いわゆる緩い感想などは許さない映画でもあり、日記レビューを躊躇わされていた。そんなときに、NHK教育で再放送された、『地球ドラマチック ヘラクレイオン 海に沈んだ古代エジプト都市』を見ていて、上野の都美術館で「ルーヴル美術館展 ―地中海 四千年のものがたり―」が開催されているのを思い出した。

よくある、〈泰西名画・落ち穂拾い〉のような展示なら、それほど惹きつけられることもないが、今回は一風変わった考古学に的を絞った、いわば裏ルーブル展の様相だったので、チラシを見て興味を引かれていたのだった。三連休前の金曜日、しかも終了間際でもあり、早速出かけてみた。
シニア料金で入場した自分を差し置いていうのもなんだが、敬老週間最終日の上野公園は、全く年寄りの吹溜まりの体をなし、その余波か、あんまり一般的ではないように思われる、考古学的掘り出し物ばかりが展示されている「ルーブル展」まで埋め尽くしていた。派手ではないけれども、ルーブルの総力を挙げた途轍もない宝物群を前に、展示物を見るより耳で聞くガイドばかりに気を取られた鑑賞者は、音声ガイドのない展示物には目もくれず、ガイド表示のあるお宝には黒山の人だかりなのである。
ある意味だからこそ、ゆっくり見ることができたわけだが、展示自体は、チラシにもあるとおり、ルーブルの八部門協力による横断的な展示内容で、地中海を囲む各国の歴史的地層を、縦切りにして立体的に見せるという画期的なものだった。メソポタミア、ナイルの各流域に始まる人類文明の最初期から、クレタ島を中心に文明を、交易という形で拡げつなげていったフェニキア人の石盤や、ギリシャローマ以前のイタリアのタナグラ人形、ローマと闘ったカルタゴの文字など、滅多に見られない貴重品ばかり。現物を見なければわからない、当時の一面を知ることが出来る。また、キリスト教によって邪神扱いされた、キュベレー(シベール)やオリエントの神像などももれなく展示されている。
よく知られているはずのローマ時代にしても、最盛期のある皇帝妃の巨大な頭部像(占領地となったカルタゴに残されていた)や、ハドリアヌス帝の胸像、彼の寵童であったアンティノウスのエジプト神に模した小像などは、いかにローマの力が偉大だったかを実証している。以降、中世、ルネサンスイスラム教と、キリスト教の対立の流れが、十九世紀近代のオリエンタリズムまで具体的な展示で示されている。
とはいえ、ここでみせてもらえる、長く芳醇なギリシャ、ローマ以前の諸文明の実態は、じつは十九世紀になるまで、ほとんどが誤解か、無知で覆われており、十九世紀初頭、ナポレオンによる帝国主義的エジプト政策に端を発した、西欧的歴史主義の台頭によって明らかにされてきたのである。半可通の皮肉はともかく、ルーブルという世界最高の知の集積の、ほんの一部であっても我々に十分の知的快楽を与えてくれたのを、素直に喜ぶべきだろう。
ルーブル展の感想を喜びすぎてK氏に話すと、じゃあ、こんな展示があるよと誘ってくれたのが東洋文庫マルコ・ポーロシルクロード世界遺産の旅』だった。−西洋生まれの東洋学−と副題された展示は、遙か十五世紀にユーラシアを横断したマルコ・ポーロの足跡を辿りながら、東洋学と言う学問の発展を一望できる展観だった。ここもやはり、十九世紀以降の西欧から始まった東洋への探索を、たっぷりの書籍と画像でマルコ・ポーロの業績を鳥瞰する形でみせる、いわば西欧が起こした知的遺産への東洋からの返答と言えるかもしれない。地域的にはほんのひとつまみに過ぎない地中海沿岸が世界史的にいかに大きな存在になったとしても、ユーラシアの大部分が空白地帯だったわけではなく、世界文明が欧州から一方的に広まったわけでもない。
ルーブル展に、ヒッソリと置かれた、ヨーロッパの片隅イベリア半島に残されていた、未だに解読されない文字の銀の鉢から、カルパチアの祝祭と暮らしを経由して、極東の一角、東洋文庫のカフェ・オリエンタルで、トルコ風の濃いコーヒーを飲む、そんなユーラシア周遊を堪能した一週間だった。