時とところのアラベスク(十四)  『ラブド・ワン』の頃から『突飛なるものの歴史』の中へ

定時制高校に入って、本と共に、中学生の頃から好きだった映画熱に火がついた。大切な収入源の筈の職場をさぼって、当時生活していた、溝の口周辺の映画館に入り浸る日が続いていた。日比谷、有楽町の封切館への出入りは、もう少し後になる。小学校時代からお気に入りだった渋谷の街は、当時、封切館、三番館入り乱れて街中に映画館が溢れていた(ように思っていた)。出勤と同じ様な時間に家を出るから、開演にはまだ早い。喫茶店で時間をつぶし、開き始める店舗で昼食を準備して、最初の客になることが多かった。
今は無い東急文化会館の地下に「東急文化」があって、最初はニュース映画館だったが、当時は「アート・シアター」系の封切館になっていた。まだ、映画情報誌もなく、新聞の映画欄が唯一の情報源だった。なんで見てみる気になったのかも覚えていないが、確かにトニー・リチャードソン作品『ラブド・ワン』1965日本公開1967は当時の高校生にとっては、衝撃的で、雑誌風のATGのプログラムも買えなかったので、帰りのバスの中で滅裂な感想を、夢中になって手帖に書き殴っていた。暫くして、古本屋で見つけた雑誌の中で、巡り会ったのが種村さんの評論だった。「仮面劇の復活」『映画評論』1966と題したそれは、映画作品を肴に存分に奇妙な事象を語る不思議な作品だった。澁澤さんの『夢の宇宙誌』1964と共に、高校時代の重要な美術本であった、『迷宮としての世界』1965の翻訳者として既知の人だったけれども、それ以来まだ著書のない種村さんの作品を、映画雑誌の中から拾い出しては、読みふけるようになっていた。だから1968年に、三一書房から最初の評論集『怪物のユートピア』が出た時には、飛びつくように買ったのを覚えている。「現代詩手帖」での連載、『ナンセンス詩人の肖像』も毎月愛読していた。取り上げられていたナンセンス詩の原典を求めて近県の洋書屋を探し回ったこともある。penguin Poetの『Comic & Curious Verse』三冊本は、それぞれを新宿紀伊國屋伊勢佐木町有鄰堂、渋谷大盛堂とあちこちでかき集めたものだった。数度の転居にも拘わらず、現在でも手元にある数少ない本なのである。前にも書いたとおり『血と薔薇』の創刊廃刊も目撃している。
そんなことを思い出したのも、奇想の膨大なコレクション、

完全版 突飛なるものの歴史

完全版 突飛なるものの歴史

の後書を読み返したからだった。
いろいろと、影響だとか関連だとか書かれているけれども、結局は澁澤さんも種村さんも、この著作の中に海の向こうにいた自らの分身を発見したのではないのかと思う。上に挙げた両氏の作業は、実は『突飛なるものの歴史』の刊行とほぼ並行に行われているのだ。約半世紀を過ぎて振り返ってみれば、共通の話題も多いが、当時、素天堂がお二人の仕事に夢中になったのは、当然だが、お二人しか自分の読みたい事を書いてくれていなかったことを忘れるわけには行かない。アイデアだけでは本はできないのだ。
余談だけれども、素天堂はこの本の作品社版を発見した時、著者名はフェイクで、実は高遠さんの著作ではないかと思ったことがある。だって、弘美(ヒロミ)のあだ名をロミとつけるなんていうのはいかにもありそうだったから。いや、今でも一連のロミ名義の著作は……。