一角獣の戸惑い、または大きな美術品の驚き

こんな弱小blogには珍しく、リンクが三十件となっている。それが『貴婦人と一角獣展」の感想だと言う事。自分も感じているのでわかるのだが、きっと観にいった人たちの大多数が会場を出るときに持って出るのは、大きな戸惑いと違和感なのだろう。
縁もゆかりもない地域の、とてつもない昔の人々が作りあげた、空想の生物と戯れる女性像。書かれたテーマも無論だが、等身大どころか二倍、三倍に引き延ばされ定着させる意志と空間感覚は、日本人にとってはとてもなじみ深いものとはいえないのだから。というわけで、ちょっとお節介な一言。
壁を飾ると言う事であれば、日本にも「障壁画」というジャンルがあって、数十畳にわたる広大な日本間は、基本的にほとんど壁の代わりに取り払える襖で囲まれている。木組み、低層が基本の日本建築では常識の手法である。長さで言えばとてつもない空間を表すことができる。しかし当然の事だが、襖絵というのは、室内の内側に向かって描かれており、天地の寸法は天井の高さで限定され、人の身長を大きく超える事はない。それは、西洋で吹き抜けの壁を飾る祝祭空冠を覆うタペストリーとは似ていて大きく異なった存在なのだ。
西洋では、石造りの城館などで、広間の防寒に使われたり、騎馬試合に中庭に飾られて、所有者の富裕ぶりを競ったりもした。その風習は、旧家を描いた文学作品の中で描かれているとおり、今でもヨーロッパの各地で見る事ができる。また祝祭日の飾りとして、家の外に飾ったりすることも多く、そのために上流階級の家庭では、タペストリーを代々伝わる重要な財産としていたのである。