なんとサライに逢えるとは 印象「レオナルド・ダ・ヴィンチ展−天才の肖像」

今年の初め、篠田真由美さんの『ホテル・メランコリア』で登場する一人物をレオナルドに生涯連れ添った「性悪の美少年」ジャコモ=サライに例えたものだった。
ロシア世紀末の作家メレジュコフスキーの伝記小説『神々の復活』に登場し、塚本邦雄の『獅子流離譚 わが心のレオナルド』で重要な位置を占める彼だが、師匠の手を焼かせはしたものの作品はほとんど残っていないと思っていた。いなかったはずなのだが、資料的な裏付けのないままこの東京都美術館での展覧会の解説という公の場で、〈ロンバルディア地方のレオナルド派の画家『洗礼者聖ヨハネ』1520ころ〉がサライの作であるという説を公開しているのに驚いた。
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若き日のサライをモデルにしたとされるレオナルドによる素描が残されているが、この美少年は工房での年長の弟子から、師匠との関係をからかわれ、手癖の悪さで師匠を困らせながらも、レオナルドに最後まで遣えた。もう一人の、良家の出で最後には遺産として膨大なノートの管理を任せられたフランチェスコ・メルツィとともにフランスまで付き添った弟子であった。レオナルドの死後(1519)姿をくらましたと言われるそのサライに、師匠の死後、ほとんど同じヨハネのフォルムを持った作品が残されていたというのは、なかなか興味深いものだった。
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レオナルドが最後まで手放さなかったヨハネ像は暗い背景に半裸の姿を浮かび上がらせる神秘的なものだが、サライのものだと言われるこの作品のヨハネは、あたかも師匠から引き継いだかのように、晩年の「モナリザ」や若書きの「受胎告知」のものであった冷酷で明晰なトスカーナの風景を背に、表情の、微妙な相違から若干品のなさを漂わせながらこちらを見つめている。同時期の、レオナルド工房での他の弟子に比して、力量が劣っているとは思えない出来栄えではないだろうか。
目を近づけて彼の作品を詳細に見てみると、小さな写真ではわからないが、レオナルド写しのなめらかな筆のタッチで全面を覆われている中で、妙にざらついた箇所に気づかされた。一番重要である右の眼の瞳がえぐられ、黒く平坦に修復されているのがわかったのだ。
ヨーロッパでは、「邪眼」といって、眼で人を呪う能力があるといわれる。柔やかに微笑む聖者の眼に何があったのか、その傷を誰がつけたのか、誰の仕業かはわからないが、一瞬、サライの不可解な最期を思わせる強烈な悪意を感じて、背筋を冷たいものが走った。
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