商業美術の世界 20世紀のポスター[タイポグラフィ] 東京都庭園美術館

デザインなどとカタカナで呼ばれる前から、ポスターや装幀などの商業美術に強い興味を持っていた。

暮しの手帖』の花森安治の手書きのレタリングに憧れ、中学校時代にはなけなしの小遣いの中から授業料を捻出して、デザインの通信教育を受けたりしていた。
高校に入ってからも美術部に在籍しながら、当時再評価の真っ只中だった世紀末美術に興味を持ち始めて、技術はともかく資料だけは集めていた。残念ながら六十年代始めの商業美術の世界は、つてもない貧乏高校生を使ってくれるような状況ではなく、外から眺めているのが精一杯だった。かといって専門学校に進めるような余裕もないまま、結局は今に変わらぬ「眼高手低」の状態が長く続いた。
辛うじて、製版業という商業美術の端っこに関わって、超一流の広告代理店が作成する、上場企業の新聞広告に携われたのは、八十年代を過ぎてのことだった。美学校の一年を終わって、新聞広告で見つけた八丁堀のデザイン事務所で、線引きやレタリングに必要な「溝引き」は修得していたので、版下の修正などの軽度の作業に困ることはなかったし、好きで付き合い続けていたせいで出来上がった鑑賞眼は、その作業に役立ったのかなと思う。

その中でも、バブル以前の上昇期だったお陰で、今回出展されていた、プッシュピン・スタジオのグレイ・スケールの美しい原稿だとか、アンドレ・フランソワのブラックユーモア溢れる作品に触れることが出来た(ゲラは出たものの使えなかった作品まであった)のは幸運だった。

いつの間にか、商業美術、図案家という前近代的な呼称から、七十年代以降デザイナー、イラストレーターというカナ書きで呼ばれるようになって久しいが、面相筆とガラス棒で曲線も直線も自由に描けた、あの描き文字と呼ばれた現場仕事の時代を思い出させる展観でありました。
描画による雰囲気を持たない、文字だけの作品は、それ故に作家の構成力、感覚を鋭く問われるものではあるけれど、自分にはやっぱり絵のある
 カッサンドルの「デュボネ」
 ホードラーの「ヴェル・サクルム」
 サイケデリックのロックポスター
が嬉しかったのは、素天堂の持って生まれた性なのだろう。