塔三彩 時とところのアラベスク(五)

「河鍋暁齋展」1994以来の、「江戸東京博物館」、「よみがえる浮世絵−うるわしき大正新版画」展。展示品や催事特別展の善し悪しはともかく、意味のない地上通路の空白と威圧的なデザイン、がこの展示場を必要以上に敬遠させる要因だろう。今回も、車内の広告などで興味はあったのだが、一人で出かける気にはならずにいた。K氏が連休二日目、所用のついでに、誘ってくれたので寄り道がてら両国へ行ってみた。
例によって里帰り、再認識の展示ではあるが、日本美術の重要な分野をしめる、浮世絵以来の通俗木版画の大回顧展である。河鍋暁斎、大蘇芳年を最後に衰退した、浮世絵技法を大正期に復活させ、戦後まで存続させた版画店と画家達の物語は、それを発見したアメリカの若者のストーリーと共に、充分楽しめた。モダン美人画や風俗画、役者絵が、連綿と続いた最後の展示作品はなんと、当時の最先端、笠松紫浪描く「東京タワー」であった。

残念ながら、ハガキも額絵もなかったけれど、これは嬉しい一枚だった。夕暮れの明かりがまだ残る、増上寺の松の下から照らされるサーチライトで三三〇メートルの尖端がほのかに明るむ光景は、素天堂に既視感があった。
海外流出浮世絵と、世紀末の画家との影響は今や常識であるが、その中でも、パリの版画家アンリ・リヴィエールは、北斎の名品『富嶽三十六景』に影響を受け、当時建設中であった「エッフェル塔」をテーマに三十六枚のシリーズを制作している。そのうちの一枚を思い出したのである。建設中からエッフェル塔を作品にしていったリヴィエールが、完成時にライトアップされた「エッフェル塔」を描いたこの作品である。

立ち去りがたく場内を何度かふらつきながら特別展会場を後にして、常設企画展示場に、迷路を辿る。幾重にも折り重なるエスカレーターを乗り継ぎ入場すると、薄くらい場内は、不思議な雰囲気に包まれている。

半分に切った木製の日本橋を渡ると、その下には、江戸から明治、大正を経て現在に至る〈東京〉のパノラマが繰り広げられて、好奇心に従って進むと、いつの間にか東京通になっていく仕掛けのようだ。特別展で消耗していて、全てを展観する余力もなく、大きな朝野新聞社の実物大模型に、ひっそりと佇む「凌雲閣 浅草十二階」のミニチュアの前で記念撮影した素天堂であった。